「絶対、俺のこと嫌いだと思う」
海斗が断言した。
「どうしてそう思うの?」陽和が聞く。
「だって、昨日話しかけたとき、そっけなかったもん」
レオが興味深そうに聞いた。「それだけで、嫌われてると確信した?」
「表情も冷たかったし」
「表情の解釈は、主観的だ」レオが指摘した。
「でも、明らかに…」
「明らかとは?」陽和が優しく問う。
海斗が言葉に詰まった。「なんか、そう感じた」
「それが、mind readingだ」レオが説明した。「他者の心を、根拠なく読み取ったと信じる認知の歪み」
「でも、人の気持ちって、ある程度分かるでしょ?」
「共感と決めつけは違う」陽和が言った。
「どう違うの?」
「共感は『こう感じているかもしれない』という仮説。決めつけは『絶対こう思ってる』という確信」
レオが付け加えた。「確証バイアスも働いてる」
「確証バイアス?」
「自分の仮説を支持する情報だけを集める傾向だ。海斗は『嫌われてる』という仮説を持ってるから、そっけない態度だけに注目する」
「でも…」
「相手が笑顔だったことや、別の日に話しかけてくれたことは、無視してる」
海斗がハッとした。「確かに、昨日の朝は普通に挨拶してくれた」
「そう。でも、その情報は『嫌われてる』という仮説に合わないから、無視された」
陽和が聞いた。「なぜ、そんなに『嫌われてる』と思いたいの?」
「思いたいわけじゃ…」海斗が言いかけて、止まった。
「投影かもしれない」レオが静かに言った。
「投影?」
「自分の感情を、相手に投影する心理的防衛だ。もしかして、海斗は相手のことを避けたいと思ってる?」
海斗が驚いた。「なんで分かったの?」
「逆説的だが、『相手が自分を嫌ってる』と思うことで、自分が距離を取る正当化をしてる可能性がある」
陽和が優しく言った。「相手を嫌いって認めるのは、辛いもんね」
「だから、『相手が自分を嫌ってる』という理由を作る」レオが補足した。
海斗がうなだれた。「無意識にそんなことを…」
「誰にでもある」陽和が慰めた。「大事なのは、気づくこと」
「どうすればいいの?」
「まず、『これは仮説だ』と自分に言い聞かせる」レオが答えた。
「仮説?」
「『相手は自分を嫌ってる』じゃなくて、『相手は自分を嫌ってるかもしれない』と考える」
「それだけ?」
「それが重要だ。仮説なら、検証できる。確信だと、検証しない」
陽和が提案した。「直接聞いてみるのもいいよ」
「えっ、無理!」
「なぜ?」
「もし本当に嫌われてたら…」
「その恐怖も、仮説だ」レオが言った。「確認を避ける理由になってる」
海斗がため息をついた。「人の心って、本当に分からないんだね」
「分からないからこそ、決めつけない」陽和が微笑んだ。
「それが、他者への敬意でもある」レオが付け加えた。
「敬意?」
「相手の心を、勝手に読まない。それが、相手を一人の独立した人間として尊重することだ」
海斗がゆっくり頷いた。「『嫌われてる』って決めつけるのは、相手の気持ちを無視してるんだ」
「そう。だから、観察して、仮説を立てて、確認する。それが、健全なコミュニケーションだ」
海斗は、自分の思い込みに気づいた。相手の気持ちを決めつけることは、実は相手を見ていないのと同じだった。
「明日、話しかけてみる」海斗が決意した。
「仮説の検証だね」陽和が励ました。
「そう。そして、どんな結果でも、それがデータだ」
三人は、人の心の複雑さを改めて感じながら、部室を後にした。