「また比べてしまった」
春が溜息をついた。
「何を?」蓮が聞いた。
「テストの点。友達の方が良くて、落ち込んだ」
乃愛が優しく言った。「よくあることです」
「でも、なんで比べちゃうんだろう」
蓮が説明し始めた。「社会的比較理論というのがある」
「人間は、自分を評価するために他者と比較する」
春が聞いた。「なぜ自分だけで評価できないの?」
「絶対的基準がないからだ」蓮が答えた。「例えば、テストで80点。これは良いのか悪いのか」
「平均が50点なら良い。平均が90点なら悪い」
乃愛が補足した。「相対的にしか意味が定まらない」
春が納得した。「だから比較する」
「そう。フェスティンガーという心理学者が提唱した」蓮が続けた。
「でも」春が言った。「比較すると苦しい」
「上方比較と下方比較がある」乃愛が説明した。
「上方比較?」
「自分より優れた人と比べること。これは落ち込みを生む」
「下方比較は、自分より劣った人と比べること。これは優越感を生む」
春が顔をしかめた。「どっちも嫌な感じ」
蓮が頷いた。「そう。比較は、本質的に苦しみを生む」
「ルサンチマンだ」
「ルサンチマン?」
「ニーチェの概念。他者への妬みが、自己を蝕む」
乃愛が付け加えた。「仏教でも、比較は苦しみの原因とされます」
「他者を見て、自分を責める」
春が聞いた。「じゃあ、比較をやめればいい?」
「簡単じゃない」蓮が認めた。「進化心理学的には、比較は適応的だった」
「集団内での地位を把握することが、生存に有利だった」
乃愛が説明した。「だから、脳は自動的に比較する」
春が困った。「やめられないんだ」
「完全にはね。でも、比較の仕方を変えることはできる」蓮が言った。
「どうやって?」
「他者との比較から、過去の自分との比較へ」
乃愛が頷いた。「昨日の自分より成長したか」
「これなら、競争にならない」
春が考えた。「でも、他者との比較も必要じゃない?目標として」
「良い指摘だ」蓮が認めた。「比較自体が悪いわけじゃない」
「問題は、比較を自己価値と結びつけること」
乃愛が説明した。「誰かより劣っている=自分は価値がない、という思考」
「でも、それは論理の飛躍」
春が理解し始めた。「ある分野で劣っていても、人間として劣ってるわけじゃない」
「そう。自己価値は、比較で決まるものじゃない」
蓮が哲学的に言った。「カントは、人間は目的自体だと言った」
「手段として評価されるのではなく、存在自体に価値がある」
乃愛が優しく言った。「あなたは、誰かと比べて価値があるんじゃない」
「存在すること自体が価値」
春が深く息をついた。「でも、社会は比較する」
「成績、収入、外見」
「そうだ」蓮が認めた。「社会システムは比較に基づいている」
「競争が動機付けになる」
乃愛が別の視点を出した。「でも、それに巻き込まれないことも選択できます」
「どうやって?」
「自分の価値観を持つこと」
蓮が補足した。「他者が何を評価しようと、自分は自分の基準で生きる」
春が聞いた。「でも、周りの評価も気になる」
「気になるのは自然だ」乃愛が言った。「でも、それがすべてじゃない」
「評価は参考。でも、決定権は自分にある」
蓮が締めくくった。「比較は避けられない。でも、比較に支配されないことはできる」
「メタ認知だ。自分が比較していることに気づく」
春が頷いた。「比較してる自分を、客観視する」
「そして、比較から距離を取る」
乃愛が微笑んだ。「あなたはあなた。他者は他者」
「それぞれ違う旅をしている」
春が少し楽になった。「比較は情報。でも、自己価値じゃない」
三人は静かに頷いた。比較という罠を知りながら、それでも自分の道を歩く。