「今日、学校に来たくなかった」
ミラが静かに言った。珍しく、自分から話している。
日和が優しく聞いた。「何かあったんですか?」
ミラが首を振った。「特に何も。でも、全てから逃げたかった」
レオが真剣に聞いている。
「逃げたい気持ちは、恥ずかしいことではありません」日和が言った。
「でも、弱いと思われる」ミラが小さく言った。
レオが介入した。「それは誤解です。逃避は、生物学的に自然な反応です」
「自然?」
日和が説明した。「戦うか逃げるか反応。ストレスに対する本能的な対処法です」
「危険を感じた時、脳は二つの選択肢を用意する」
レオが補足した。「戦う、または逃げる。どちらも生存戦略です」
ミラが静かに聞いている。
「問題は」日和が続けた。「現代社会では、本当の危険が少ない」
「でも、脳は同じ反応をします。試験、人間関係、プレゼンテーション」
「命の危険ではないのに、戦うか逃げるかの反応が出る」
ミラが聞いた。「だから、逃げたくなる?」
「そうです」レオが答えた。「あなたの脳は、ストレスから身を守ろうとしています」
日和が優しく言った。「逃げることは、時には正しい選択です」
ミラが驚いた。「正しい?」
「はい」日和が断言した。「適応的回避と、不適応的回避があります」
「違いは?」
レオが説明した。「適応的回避は、本当に有害な状況から身を守ること」
「例えば、虐待的な関係から離れる。過労で倒れそうな時に休む」
日和が続けた。「不適応的回避は、成長の機会から逃げること」
「恐怖はあるけれど、対処可能な状況を避ける」
ミラが考えた。「どう区別すればいいんですか?」
「難しい質問です」日和が認めた。「自分に問いかけること」
「『この状況は、本当に危険か?』『逃げた後、どう感じるか?』」
レオが補足した。「短期的な安心か、長期的な後悔か」
ミラが静かに言った。「今日逃げたら、後悔したと思います」
「だから、来ました」
日和が微笑んだ。「それは勇気です」
「でも」ミラが続けた。「いつも戦えるわけじゃない」
「戦う必要はありません」レオが言った。「第三の選択肢があります」
「第三?」
「戦うでも逃げるでもなく、向き合う」日和が説明した。
「ストレスを認識し、適切に対処する」
レオが例を出した。「試験が怖い。戦う=無理に勉強する。逃げる=試験を放棄する」
「向き合う=恐怖を認めて、計画的に準備する」
ミラが理解した。「感情を否定せず、行動を選ぶ」
「完璧」日和が言った。
「でも」ミラが聞いた。「向き合えない日もあります」
「それでいいんです」日和が答えた。「毎日、完璧に対処する必要はありません」
レオが付け加えた。「時には逃げて、エネルギーを回復させることも必要です」
「戦略的撤退」
ミラが小さく笑った。「逃げるのも、戦略」
「そう」日和が頷いた。「大切なのは、自分の選択を理解すること」
「なぜ逃げたいのか、逃げた結果どうなるのか」
レオが最後に言った。「逃げたくなる日があるのは、人間らしいことです」
「でも、盲目的に逃げるのではなく、意識的に選択する」
ミラが静かに言った。「今日は、来てよかった」
日和が微笑んだ。「それが、向き合うという選択でした」
三人は静かに座っていた。逃げたい気持ちを認めることが、実は向き合う第一歩だ。
窓の外で、風が吹いている。逃げる日も、戦う日も、向き合う日もある。それが、人生だ。