夜の研究室。空は一人、窓の外を見つめていた。
「まだいたの?」日和が戻ってきた。
「自分の価値って、何で決まるんでしょう」空が突然聞いた。
日和がゆっくり座った。「どうしたの?」
「今日、プレゼンがうまくいかなくて。みんなの前で失敗した。自分って、何の価値もないんじゃないかって」
「それは辛かったね」日和が共感した。
海斗が部屋に入ってきた。「俺も同じこと考えたことある」
空が驚いた顔をした。「海斗さんも?」
「しょっちゅう。テストの点が悪いと、存在価値がない気がする」
日和が二人を見た。「では、質問です。価値は、何かができることで決まるのでしょうか?」
空が考えた。「違う...でも、成果がないと認められないですよね」
「認められることと、価値があることは同じ?」
海斗が首をかしげた。「違うのか?」
日和が説明し始めた。「カール・ロジャーズという心理学者は、『無条件の肯定的配慮』という概念を提唱しました」
「無条件の...?」
「条件なしに、存在そのものを受け入れること。何かができるから価値があるのではなく、存在しているだけで価値がある」
空が戸惑った。「でも、現実社会は成果主義ですよね」
「そう。だから多くの人が、条件付きの自己価値に苦しむ」日和が頷いた。「成功したら価値がある、失敗したら価値がない」
海斗が深くうなずいた。「まさにそれだ」
「でも、それは外在的価値です」日和が続けた。「もう一つ、内在的価値がある」
「内在的価値?」空が聞いた。
「あなたが生きているという事実そのものに宿る価値。比較や評価の外側にあるもの」
海斗が疑問を口にした。「それって、甘えじゃないですか?何もしなくても価値があるなんて」
「良い質問です」日和が微笑んだ。「内在的価値を認めることは、努力を否定することではありません」
空が理解しようとした。「どういう意味ですか?」
「むしろ、内在的価値を土台にして初めて、健全な努力ができる。失敗しても自分の価値が揺るがないから、挑戦できる」
海斗がはっとした。「逆に、外在的価値だけだと...」
「失敗が怖くなる。自己価値が失われるから」空が続けた。
日和が静かに言った。「プレゼンの失敗は、スキルの問題です。あなたという人間の価値の問題ではない」
空の目が潤んだ。「でも、それを信じるのが難しい」
「信じられなくても構いません」日和が優しく答えた。「ただ、その可能性を考えてみてください」
海斗が自分の手を見た。「俺も、テストの点じゃない価値を持ってる...?」
「持っている」日和が断言した。「あなたたちは、ここに存在するだけで、この場所を豊かにしている」
「そんな」空が否定しかけた。
「客観的事実です」日和が遮った。「今夜、あなたがいたから、私は孤独じゃなかった。海斗さんが来てくれたから、対話が深まった」
海斗が小さく笑った。「それって、価値なのか」
「最も本質的な価値です。関係性の中で生まれる価値」
空がノートに書いた。「内在的価値は、関係の中で実感される」
「そう。完全に孤立した状態では、価値を感じにくい。でも、つながりの中で、存在の意味が見えてくる」
海斗が窓の外を見た。「今夜、ここに来てよかった」
「私も」空が微笑んだ。
日和が立ち上がった。「自分の価値がわからない夜は、誰にでもある。でも、それを一緒に考えられる人がいる。それが、価値の証明です」
空が深く頷いた。今夜は、少しだけ自分の価値を感じられた気がする。
プレゼンの失敗は、明日また向き合えばいい。今は、ここにいる自分を認めよう。
夜は深いが、心は少し軽くなった。