「本音で話そうよ」
友人の言葉を聞いて、晴は考え込んだ。
「本音って、何だろう」
美緒が静かに座っていた。いつものように、ほとんど話さない。
乃愛が本を閉じた。「面白い疑問だね」
「本音って、建前の反対でしょ?」晴が言った。
「そう思ってた。でも、本当に本音を知ってるのかな、自分でも」
美緒が小さく頷いた。
乃愛が問いかけた。「晴は、今何を感じてる?」
「うーん、ちょっと混乱してる」
「それは本音?」
「多分」晴が答えた。「でも、本当にそうかな」
「自己認識の問題だ」乃愛が説明した。「私たちは、自分の心を完全には見えない」
「見えない?」
「無意識があるから。フロイトが言った、氷山の一角」
美緒が小さな声で言った。「隠れてる部分の方が、大きいかも」
晴が驚いた。「美緒が話した」
美緒が小さく微笑んだ。
乃愛が続けた。「本音だと思ってることも、実は表層かもしれない」
「じゃあ、本当の本音は?」
「本人にも分からない可能性がある」
晴が戸惑った。「じゃあ、どうやって本音で話すの?」
「そこが哲学的ジレンマ」乃愛が微笑んだ。「本音を語ろうとするけど、本音が何か分からない」
美緒が書いた。「言葉にした時点で、変質する」
「変質?」晴が聞いた。
「感じてることを言葉にすると、元の感覚とは違うものになる」乃愛が読んだ。
「じゃあ、本音は言葉にできない?」
「完全にはできない」乃愛が認めた。「言語は、感覚の不完全な翻訳」
美緒が付け加えた。「でも、翻訳しないと、共有できない」
晴が考えた。「本音と建前の区別も、曖昧なのかな」
「そうかもしれない」乃愛が言った。「建前だと思ってたことが、実は自分の一部だったり」
「逆もある?」
「本音だと思ってたことが、実は社会から学んだ反応だったり」
美緒が静かに言った。「全部、グラデーション」
「白黒じゃない?」晴が理解した。
「うん。本音100%も、建前100%もない」乃愛が頷いた。
晴がノートに書いた。「じゃあ、『本音で話そう』って、何を意味するの?」
「多分、誠実であろうとすること」乃愛が答えた。
「誠実?」
「自分の感じてることに、できるだけ近い言葉を探すこと。完璧じゃなくても、試みること」
美緒が小さく頷いた。「完璧な本音はない。でも、近づく努力はできる」
晴が聞いた。「美緒は、いつも本音?」
美緒が首を横に振った。「分からない。でも、言わないことで、何か守ってる気がする」
「守ってる?」
「言葉にすると、嘘になる気がするから」
乃愛が静かに言った。「沈黙も、一つの誠実さかもね」
晴が深く考えた。「本音って、到達できない理想なのかな」
「そうかもしれない」乃愛が認めた。「でも、理想に向かって進むことに意味がある」
美緒が最後に言った。「本音を探すことが、自分を知ること」
晴が窓の外を見た。「じゃあ、私はまだ自分を知らない」
「みんなそうだよ」乃愛が微笑んだ。「一生かけて、探し続ける」
「本音とは本当に本音なのか」晴がつぶやいた。「答えは、ないのかも」
美緒が静かに頷いた。
三人は、言葉にならない何かを共有していた。それが、もしかしたら本音に最も近いものだったのかもしれない。