「今日は晴れですね」
陸の言葉に、誰も反応しなかった。
「だから?」葵が冷たく言った。
「いや、ただ…」
由紀が笑った。「それは情報量ゼロですね」
「情報量ゼロ?」陸が聞く。
「見れば分かることを言っても、新しい情報はない」葵が説明した。「I(X) = -log₂(p)。pが1に近いと、情報量はゼロに近い」
「晴れてることは、全員が知ってる」由紀が付け加えた。「だから、言っても情報は伝わらない」
陸が落ち込んだ。「会話の始め方、失敗した」
「でも」葵が少し優しく言った。「情報量ゼロでも、意味がないわけじゃない」
「どういうこと?」
「社会的シグナルとして機能する。『話しかけています』というメタメッセージ」
由紀が理解した。「天気の話は、会話のきっかけ」
「そう。情報伝達じゃなくて、関係構築」
陸が考えた。「じゃあ、情報量ゼロの会話って、どんなもの?」
葵はリストを作った。「『おはよう』『お疲れ様』『いい天気ですね』」
「全部、既知のこと」
「でも、社会的に重要。コミュニケーションチャネルの維持」
由紀が別の例を出した。「『元気?』も情報量低いですよね」
「大抵は『元気』と返すから」葵が認めた。「でも、もし『元気じゃない』と返されたら?」
「情報量が急増」陸が気づいた。
「そう。期待から外れることが、情報を生む」
部室が静かになった。
「でも」陸が言った。「情報量ゼロの会話が続くと、気まずい」
「なぜ?」葵が聞く。
「お互いに知ってることを確認し合うだけ。進展がない」
由紀が頷いた。「新しい情報がないと、会話が停滞する」
葵が考え込んだ。「それは、相互情報量の問題だね」
「相互情報量?」
「I(X;Y)。相手を知ることで得られる新しい情報。既知のことだけ話すと、ゼロになる」
陸が理解した。「だから気まずいんだ。お互いに新しいことを学べない」
「逆に」葵が言った。「高い相互情報量の会話は、刺激的」
「予測できないこと、驚くこと」
「そう。サプライズが、会話を豊かにする」
由紀が質問した。「でも、予測可能な関係も悪くないですよね?」
「もちろん。トレードオフだ」
葵は説明した。「長い付き合いだと、相互情報量は下がる。でも、それは理解し合ってる証」
「安定性と新鮮さ」陸が言った。
「両方必要。完全に予測可能なら退屈。完全に予測不可能なら不安」
由紀が笑った。「適度な情報量ゼロと、適度なサプライズ」
「完璧なバランスだ」
陸が窓の外を見た。「じゃあ、もう一回」
「何を?」
「今日は晴れですね」
葵と由紀が笑った。
「情報量ゼロだけど」葵が認めた。「気まずくない」
「なぜ?」陸が聞く。
「文脈があるから。メタ的な会話をした後だと、同じ言葉でも意味が変わる」
由紀が付け加えた。「『情報量ゼロを自覚して言ってます』というメッセージ」
「高次の情報だ」葵が微笑んだ。
陸が満足した。「情報量ゼロの気まずさも、使い方次第」
「そう。コミュニケーションは、単純な情報伝達じゃない」
「関係、文脈、タイミング、すべてが絡み合ってる」
由紀が静かに言った。「だから人間のコミュニケーションは、数式だけでは捉えられない」
「でも」葵が言った。「数式は、理解の助けになる」
「完璧なモデルじゃないけど、有用なツール」
三人は笑い合った。今日も晴れ。情報量ゼロの事実。でも、その気まずさすら、彼らは楽しんでいた。