「嘘をついた」
サイモンが告白した。図書館の隅、三人だけ。
「誰に?」乃愛が聞く。
「先生に。宿題をやったって」
晴が驚いた。「サイモンが嘘?珍しい」
「そう。だから気になってる」
乃愛が静かに問うた。「なぜ嘘をついた?」
「怒られたくなかった」
「それだけ?」
「...うん」
晴が考えた。「でも、みんな嘘つくよね」
「頻度は違う」サイモンが言った。「でも、ゼロの人はいない」
「なぜだろう?」
乃愛が答えた。「嘘には機能がある」
「機能?」
「自己防衛、他者への配慮、社会的調和...」
サイモンが具体例を挙げた。「『髪型似合ってる?』と聞かれて、似合ってなくても『似合ってる』と言う」
「それって嘘?」晴が聞く。
「真実ではない」
「でも、優しさじゃ?」
「その通り」乃愛が言った。「嘘が必ずしも悪とは限らない」
サイモンが哲学的に問うた。「カントは、嘘を絶対悪とした」
「絶対?」
「どんな理由があっても、嘘はダメ。たとえ人を救うためでも」
晴が反発した。「それはおかしい。命を救うためなら、嘘もあり」
「例えば?」
「殺人者が『友達はどこ?』と聞いてきたら、嘘をついて守る」
サイモンが頷いた。「カントでさえ、この例では議論になった」
「なぜカントは嘘を許さない?」乃愛が説明した。
「理性の尊重」サイモンが答えた。「嘘は、相手を道具として扱う。自律を侵害する」
「道具?」
「嘘をつくと、相手は正しい判断ができない。操作されてる」
晴が理解した。「だから悪?」
「カントの視点では」
乃愛が別の立場を示した。「でも、功利主義者は結果を重視する」
「結果?」
「嘘が良い結果をもたらせば、許される」
「じゃあ、私の嘘は?」サイモンが自問した。
「結果は?」乃愛が聞く。
「先生を騙した。罪悪感が残った。でも、怒られなかった」
「プラスとマイナス、どっちが大きい?」
「...わからない」
晴が別の角度を示した。「でも、嘘がないと社会は成り立たない」
「どういうこと?」
「『調子どう?』に『最悪』って毎回答えてたら、会話が重い」
乃愛が微笑んだ。「社交辞令だね」
「それも嘘?」
「厳密には真実じゃない。でも、社会的潤滑油」
サイモンが考え込んだ。「じゃあ、嘘には種類がある?」
「たくさん」乃愛が答えた。「悪意の嘘、善意の嘘、自己防衛の嘘、社交の嘘...」
「どれが許される?」
「文脈による」
晴が疑問を持った。「でも、境界線は曖昧じゃ?」
「曖昧」サイモンが認めた。「だから倫理は難しい」
乃愛が核心を突いた。「大事なのは、なぜ嘘をつくかを自覚すること」
「自覚?」
「無意識に嘘をつくのと、意識的に選ぶのは違う」
サイモンが納得した。「僕は無意識に嘘をついた」
「次は?」
「意識する。嘘をつくべきか考えてから」
晴が笑った。「でも、毎回考えてたら疲れる」
「そう。だから習慣が重要」乃愛が言った。
「習慣?」
「普段から誠実でいれば、必要な時に嘘を選べる」
サイモンが深く頷いた。「嘘をつかないことが基本。でも、例外はある」
「例外の判断基準は?」晴が聞く。
「他者を守るため。真実が不当な害をもたらす時」
乃愛が補足した。「でも、自己利益のためだけなら、避けるべき」
「僕の嘘は、自己利益」サイモンが認めた。
「次はどうする?」
「正直に言う。遅れても、やってないと」
晴が応援した。「それが誠実さ」
乃愛が静かに言った。「完璧に嘘をつかない人はいない。でも、嘘と向き合うことはできる」
「向き合う」サイモンが繰り返した。
窓の外で雨が降る。嘘も雨のように、時に必要で、時に避けるべきもの。
「嘘について考えること自体が、誠実さかも」晴が言った。
「良い視点だ」サイモンが微笑んだ。
三人は沈黙した。真実と嘘の境界で。