「雨の日に掃除すると雨が止む、って本当かな」
晴が窓を見ながらつぶやいた。外は小雨が降っている。
「因果関係の錯覚だ」レンが即答した。「相関と因果は違う」
「でも、三回連続で当たったんだよ?」
「三回では統計的に有意とは言えない」
ノアが静かに近づいてきた。「でも、信じたくなる気持ちは分かる」
晴が振り返った。「ノアも信じる?」
「信じるかどうかより、なぜ信じたくなるか、が面白い」
レンが眼鏡を直した。「進化心理学的には説明できる。パターン認識は生存に有利だった」
「パターン認識?」
「草が揺れたら、風かもしれないし、捕食者かもしれない。どちらか分からないとき、捕食者だと仮定した個体が生き延びた」
ノアが補足した。「偽陽性は許容できるけど、偽陰性は致命的」
「偽陽性って?」晴が聞く。
「本当は風なのに捕食者だと思うこと。逃げるだけだから、損失は小さい」レンが説明する。
「逆に、本当は捕食者なのに風だと思ったら?」
「それが偽陰性。食べられる」ノアが静かに言った。
晴が理解した。「だから、過剰に反応する方が生き残る」
「そう。その副作用が、存在しないパターンまで見てしまう傾向だ」
窓の外で、雨が少し弱まった。
晴が興奮した。「ほら!やっぱり掃除すると雨が止む!」
レンが冷静に言った。「それは確証バイアス。予測に合う証拠だけを覚えている」
「確証バイアス?」
「自分の信念を支持する情報だけを選択的に注目する傾向。人間の認知の基本的な癖だ」
ノアがノートに書いた。「掃除しても雨が続いた回数は、覚えてる?」
晴が考え込んだ。「...言われてみれば、覚えてない」
「記憶は中立じゃない」レンが続けた。「印象的な一致だけが残る」
「でも」晴が反論した。「迷信って、全部悪いものなの?」
ノアが顔を上げた。「良い質問」
「迷信は不確実性への対処法かもしれない」レンが珍しく柔らかい口調で言った。
「対処法?」
「完全に制御できない状況で、何かできると感じることには価値がある」
ノアが続けた。「心理的な安心感。プラセボ効果に似てる」
「信じることで、本当に効果が出る?」
「心理的なストレスが減れば、パフォーマンスは向上する。間接的に効果はある」レンが認めた。
晴が笑った。「レンが迷信を認めるなんて」
「認めるわけじゃない。メカニズムを説明してるだけだ」
ノアが静かに言った。「でも、知りながら信じることはできる」
「え?」
「迷信だと分かっていても、儀式的に行う。それは自己欺瞞じゃなくて、意識的な選択」
レンが考え込んだ。「確かに。『本当に効果があるか』より、『安心感を得られるか』が重要なら、知識は邪魔にならない」
晴が窓を見た。雨はすっかり止んでいた。
「じゃあ、私が掃除したから雨が止んだ、と考えることは?」
「科学的には誤り」レンが言った。
「でも、心理的には有益かもしれない」ノアが付け加えた。
晴が微笑んだ。「じゃあ、明日も雨だったら掃除する」
「なぜ?」レンが尋ねた。
「効果があるかは分からない。でも、何かしてる感じが好きだから」
ノアが頷いた。「それが誠実な態度かもしれない」
「誠実?」
「迷信を盲信するわけでもなく、完全に否定するわけでもなく。不確実性を認めながら、自分なりの対処をする」
レンが珍しく笑った。「哲学的だ」
「迷信って、結局、不確実な世界で生きる知恵なのかな」晴がつぶやいた。
「完璧じゃないけど、人間らしい知恵だ」レンが認めた。
窓の外には、虹が出ていた。
「虹が出るのも、誰かの迷信のおかげかな」晴が冗談めかして言った。
「それは物理現象だ」レンが即座に訂正した。
ノアが静かに笑った。「でも、美しいと感じるのは、人間だけ」
三人は虹を見つめた。科学と迷信のあいだで、世界は複雑な色彩を見せていた。