「また戦争のニュースだ」
晴が溜息をついた。スマホを見ながら。
「人類の歴史は、争いの歴史だ」蓮が静かに言った。
「なぜ?」晴が聞いた。「なぜ人は争うの?」
ノアが本を置いた。「古くからの問いだね」
「ホッブズは言った」蓮が始めた。「『人は人に対して狼である』」
「狼?」
「自然状態では、人間は互いに敵対する。『万人の万人に対する闘争』だ」
晴が驚いた。「それが人間の本性?」
「ホッブズはそう考えた。資源は限られている。だから奪い合う」
ノアが反論した。「でも、ルソーは違うことを言った」
「何を?」
「『人間は本来善良だ。社会が人を悪くする』」
蓮が補足する。「『高貴な野蛮人』の概念。文明以前の人間は、争わなかった」
「どっちが正しいの?」晴が混乱した。
「両方とも、ある側面を捉えている」ノアが答えた。「人間は複雑だ」
「複雑?」
「協力する能力もあるし、争う能力もある」
蓮が別の視点を出した。「マルクスは、争いの原因を経済に求めた」
「経済?」
「階級闘争。資本家と労働者の対立。構造的な問題だ」
「個人の性質じゃなくて、社会の構造?」
「そう。社会を変えれば、争いは減ると考えた」
ノアが慎重に言った。「でも、社会主義国でも争いは起きた」
「じゃあ、構造だけじゃない?」
「人間の欲望、恐怖、誤解。様々な要因が絡む」
晴が考えた。「資源の奪い合いだけじゃない?」
「フロイトは言った」蓮が続ける。「『死の本能』タナトス」
「死の本能?」
「人間には、破壊への衝動がある。それが争いを生む」
「怖い...」晴がつぶやいた。
ノアが優しく言った。「でも、『生の本能』エロスもある。愛と創造の力だ」
「両方ある?」
「そう。どちらが優位になるかは、状況による」
蓮が別の哲学者を引用した。「レヴィナスは、他者性を強調した」
「他者性?」
「他者は、私とは根本的に異なる。その差異が、対立を生む可能性がある」
「でも、対話も可能にする」ノアが補足した。「違うからこそ、学び合える」
晴が整理した。「争いの原因は...資源、構造、本能、他者性」
「そして、誤解」ノアが付け加えた。
「誤解?」
「相手の意図を読み違える。コミュニケーションの失敗」
蓮が頷いた。「ゲーム理論の『囚人のジレンマ』だ」
「何それ?」
「二人の囚人。協力すれば両方得する。でも、裏切りを恐れて、両方裏切る」
「信頼の欠如」ノアが言った。
「じゃあ、争いを止めるには?」晴が聞いた。
「簡単な答えはない」蓮が認めた。「でも、いくつかのアプローチがある」
「例えば?」
「カントは『永遠平和のために』を書いた」
「どんな内容?」
「民主主義、国際法、世界市民主義。これらが平和をもたらす」
ノアが補足した。「ガンディーは『非暴力』を説いた」
「暴力を使わない?」
「そう。でも、抵抗はする。道徳的な力で」
晴が驚いた。「それで勝てるの?」
「インド独立を成し遂げた」蓮が言った。「暴力より強い力があることを示した」
「でも」晴が反論した。「いつも効く?」
「いや」ノアが正直に言った。「状況による。相手が良心を持っている場合に有効だ」
蓮が別の例を出した。「アーレントは『悪の陳腐さ』を指摘した」
「陳腐?」
「大きな悪は、特別な悪人ではなく、普通の人が考えずに命令に従うことで起きる」
「考えない?」
「思考停止。それが争いを可能にする」
ノアが静かに言った。「だから、考え続けることが大事」
「考える?」
「なぜ争うのか。本当に必要なのか。他の方法はないのか」
晴が深呼吸した。「哲学が、争いを減らせる?」
「直接的にはできない」蓮が答えた。「でも、間接的には」
「どうやって?」
「対話を促す。異なる視点を理解させる。簡単な答えがないことを示す」
ノアが微笑んだ。「争いは、単純化から生まれることが多い」
「単純化?」
「『敵と味方』『善と悪』。世界を二分する思考」
「でも、実際は複雑?」
「そう。グレーゾーンだらけ」
晴が窓を見た。「人は、ずっと争い続けるのかな」
「おそらく」蓮が正直に言った。「でも、減らすことはできる」
「どうやって?」
「教育、対話、制度。そして、一人一人の意識」
ノアが晴の肩に手を置いた。「私たちも、今、争わずに対話してる」
「そうだね」晴が微笑んだ。
「それが希望だ」蓮が言った。「小さいけど、確かな希望」
三人は静かに座っていた。
争いのない世界は、夢かもしれない。
でも、争いの少ない世界は、作れるかもしれない。
一つ一つの対話から。