「また、誰かと比べてる」
晴が自分の成績表を見つめた。
「比較は人間の本能だ」サイモンが言った。
「本能?やめられないの?」
「進化心理学的には、社会的動物の生存戦略だった」
晴が顔を上げた。「生存?」
「群れの中での自分の位置を知る。それが資源配分や繁殖に影響した」
「今は生存に関係ないのに」
「本能は簡単に消えない。脳は石器時代のままだ」
晴が溜息をついた。「比較すると、苦しいのに」
「レオン・フェスティンガーの『社会的比較理論』。人は自己評価のために他者と比較する」
「自分の価値を、他人で測る?」
「絶対的な基準がないとき、相対的に判断する」
晴が考えた。「でも、比較する相手によって、気分が変わる」
「上方比較と下方比較だ」サイモンが説明した。「自分より上と比べるか、下と比べるか」
「上と比べると、落ち込む」
「でも、動機づけにもなる。目標が明確になる」
「下と比べると?」
「安心感を得る。でも、成長は止まる」
晴が窓を見た。「どちらも一長一短」
「比較の相手選びは、無意識の戦略だ。今の自分に必要なものを選ぶ」
「でも、SNSだと、選べない」
サイモンが頷いた。「現代の問題だ。他人の『ハイライト』だけが見える」
「みんな幸せそう」
「それは錯覚。投稿されるのは、選ばれた瞬間だけだ」
晴が考え込んだ。「じゃあ、比較をやめられないなら、どうすれば?」
「比較の対象を変える。他人ではなく、過去の自分と比べる」
「自己比較?」
「成長を測る。今日の自分は、昨日より良いか」
晴が笑った。「でも、それも比較じゃない?」
「そうだ。比較自体は悪くない。道具として使えばいい」
「道具?」
「問題は、比較が目的化すること。勝ち負けに執着する」
晴が聞いた。「勝ち負けじゃないなら、何?」
「理解のための比較。なぜ違うのか。何が異なるのか」
「差異の認識?」
「そう。差異は、多様性の源だ。否定するものじゃない」
晴がノートに書いた。「比較から学ぶ」
「ニーチェは言った。『君の隣人を愛せではなく、最も遠い者を愛せ』」
「遠い者?」
「理想。未来の自分。到達不可能でも、方向を示す」
晴が考えた。「他人は、鏡?」
「良い比喩だ。自分を映す。でも、鏡は歪んでる」
「歪んでる?」
「完璧な鏡はない。どの角度から見るかで、像が変わる」
晴が微笑んだ。「じゃあ、いろんな鏡を使えばいい」
「多角的な視点。それが成熟だ」
「比較をやめるんじゃなくて、上手に使う」
サイモンが頷いた。「仏教には『比較なき境地』という理想がある。でも、それは到達点だ」
「今は、比較と共に生きる?」
「そう。比較を意識的に選ぶ。自動反応ではなく、意図的に」
晴が成績表を閉じた。「今日から、昨日の自分と比べる」
「良い決断だ。でも、時々は他人とも比べていい」
「いいの?」
「視野を広げるために。でも、優劣じゃなく、違いを見る」
晴が立ち上がった。「比較は、ツール。使い方次第」
「その通り。道具に善悪はない。使う人の意図で決まる」
「じゃあ、私は成長のために使う」
サイモンが微笑んだ。「それが、賢い選択だ」
二人は図書館を出た。外では、それぞれの道を歩く人々。比較の中で、それでも、各自が進む。
晴がつぶやいた。「比較は避けられない。なら、友達にしよう」
「敵を味方に。戦略家だね」サイモンが笑った。
比較という鏡を通して、人は自分を知る。そして、それもまた、一つの道だ。