「つながった…」
奏がアミノ酸の分子模型を見つめた。
零が頷いた。「ペプチド結合。タンパク質の背骨だ」
「背骨?」
ミリアが二つのアミノ酸モデルを手に取った。「一つのカルボキシ基と、もう一つのアミノ基」
「これが結合する?」
「脱水縮合」零が説明した。「水が一つ取れて、結合ができる」
奏がノートに書いた。「-COOH + H-NH- → -CO-NH- + H₂O」
「その通り。CONHの部分がペプチド結合」
ミリアが付け加えた。「この結合は、平面的」
「平面?」奏が首を傾げた。
「C-N結合に、二重結合性がある。回転しにくい」零が説明した。
「なんで?」
「共鳴構造。電子が非局在化してる」
奏が模型を回そうとした。「確かに、硬い」
ミリアが別のアミノ酸を取った。「これをつなげると?」
「ペプチドになる」零が答えた。
「二つならジペプチド、三つならトリペプチド」
奏が興奮した。「じゃあ、100個なら?」
「ポリペプチド。タンパク質の元」
ミリアが図を描いた。「N末端とC末端。方向性がある」
「方向性?」
零が指さした。「左端がアミノ基、右端がカルボキシ基。常にN→C方向で書く」
「なんで重要なの?」奏が尋ねた。
「合成の方向が決まるから。リボソームもN→Cで作る」
ミリアが続けた。「配列が重要。グリシン-アラニンと、アラニン-グリシンは違う」
「でも、同じ成分?」
「順番が違う。それが機能を変える」
零が例を出した。「インスリンは51個のアミノ酸。順番が一つ違うだけで、効かなくなる」
奏が驚いた。「たった一つ?」
「配列が、すべてを決める」
ミリアがタブレットを見せた。「これがタンパク質のデータベース。何万もの配列が登録されてる」
「すごい…」
零が説明した。「20種類のアミノ酸から、無限の組み合わせ」
「20の100乗?」奏が計算しようとした。
「天文学的な数字」ミリアが認めた。
「でも、生物が使うのは、ほんの一部」
零が続けた。「進化が選んだ、機能的な配列だけ」
奏がペプチド模型を持ち上げた。「この結合、強いの?」
「比較的強い。加水分解されない限り」
「加水分解?」
ミリアが答えた。「水を使って、結合を切る。逆反応」
「酵素が必要」零が付け加えた。
「プロテアーゼ。ペプチド結合を切る酵素」
奏が質問した。「なんで切るの?」
「消化とか、タンパク質の分解に必要」
ミリアが説明した。「胃のペプシン、腸のトリプシン、すべてプロテアーゼ」
「食べたタンパク質を、アミノ酸に戻す」零が言った。
「それで、また自分のタンパク質を作る」
奏が理解した。「リサイクル?」
「そう。アミノ酸は貴重だから」
ミリアが別の模型を組み立てた。「ポリペプチド鎖は、折りたたまれる」
「なんで?」
「疎水性、親水性、電荷…相互作用が働く」
零が図を描いた。「α-ヘリックス、β-シート。二次構造」
「ペプチド結合の平面性が、これを可能にする」
奏が感心した。「結合一つで、こんなに複雑…」
「でも、基本は単純」ミリアが微笑んだ。
「CO-NH。それが繰り返されるだけ」
零が窓の外を見た。「この部屋にいる私たち、何兆ものペプチド結合でできてる」
奏が自分の手を見た。「この手も?」
「筋肉、皮膚、骨…全部タンパク質」
ミリアが静かに言った。「ペプチド結合が、私たちを形作ってる」
「結合のささやきが、聞こえる?」零が尋ねた。
奏が目を閉じた。「CO-NH、CO-NH、CO-NH…」
「何億回も繰り返される、静かな歌」
ミリアがノートを閉じた。「それが生命の音楽」
三人は模型を見つめた。小さな結合が、大きな世界を作る。
奏がつぶやいた。「ペプチド結合、ありがとう」
零とミリアが笑った。
「分子に感謝する奏は、やっぱり特別だ」
実験台の上で、アミノ酸モデルは静かにつながっていた。