「誰もわかってくれない」
海斗が部室で爆発した。机を叩く音が響く。
日和が静かに近づいた。「何があったんですか?」
「親に相談したんだ。進路のこと。でも、全然わかってもらえなかった」
空が観察している。海斗の感情が高ぶっている。
「親は何と?」日和が聞いた。
「『それは甘えだ』『現実を見ろ』って。俺の気持ちなんて、聞く気もない」
日和が頷いた。「辛かったですね」
海斗が驚いた。「え?」
「自分の気持ちを否定されるのは、辛いことです」
海斗が少し落ち着いた。「そう…辛かった」
空が聞いた。「海斗さんは、親に何を求めていたんですか?」
「それは…わかってほしかった」
「わかるって、どういうことでしょう?」
海斗が考えた。「俺の気持ちを理解してほしかった」
日和が優しく言った。「心理学では、『バリデーション』という概念があります」
「バリデーション?」
「感情の妥当性を認めること。『あなたの気持ちはもっともだ』と伝えることです」
空が補足した。「解決策を提示することとは違います」
海斗がハッとした。「親は解決策ばかり言ってた」
「典型的なすれ違いです」日和が説明した。「一方は共感を求め、もう一方はアドバイスを与える」
「でも、アドバイスも大事じゃないの?」海斗が聞いた。
「大事です」空が答えた。「でも、順番がある」
日和が続けた。「まず感情を受け止めてもらう。それから、解決策を考える。この順序が重要です」
「なぜ?」
「感情が無視されると、防衛的になります。アドバイスを受け入れる余裕がなくなる」
海斗が納得した。「確かに、親の言葉が全部否定に聞こえた」
空が分析した。「それは『認知的閉鎖』の状態です。感情が高ぶると、情報処理能力が低下します」
日和が優しく言った。「海斗さん、親御さんはあなたを心配しているんですよね?」
「それは…そうだと思う」
「でも、その心配の表し方が、海斗さんの求めるものと違った」
海斗が頷いた。「そういうことか」
空が聞いた。「海斗さんは、親に自分の気持ちを説明しましたか?」
「したよ!でも、聞いてくれなかった」
「どう説明しましたか?」日和が詳しく聞いた。
「『俺はこうしたいんだ』って」
「気持ちじゃなくて、希望ですね」空が指摘した。
海斗が混乱した。「違うの?」
日和が説明した。「『こうしたい』は、行動レベル。『こう感じている』は、感情レベルです」
「例えば?」
「『この進路を選びたい』ではなく、『将来が不安で、でも自分の道を探したいと感じている』」
海斗が理解した。「感情を言語化するってこと?」
「そう。そして、親御さんにも感情があるはずです」
海斗が考えた。「親も不安なのかな」
「可能性は高いです」日和が言った。「でも、お互いの不安が衝突して、理解し合えなくなる」
空が補足した。「コミュニケーションの基本は、まず聞くことです」
「でも、親が聞いてくれないのに」海斗が反論した。
「誰かが先に聞く側に回る必要があります」日和が優しく言った。
海斗が驚いた。「俺が親の話を聞くの?」
「難しいですか?」
「だって、俺の方が傷ついてるのに」
日和が頷いた。「その気持ちは理解できます。でも、誰かが循環を断ち切らないと、すれ違いは続きます」
空が言った。「『わかってくれない』と思う時、相手も同じことを思っているかもしれません」
海斗が黙った。
「両方が『わかってほしい』と叫んでいる」日和が静かに言った。「でも、誰も聞く側に回らない」
海斗がゆっくりと言った。「俺、親の気持ちなんて考えたことなかった」
「それは自然なことです」日和が励ました。「まず自分の気持ちで精一杯だから」
「でも、変えられる?」
空が答えた。「変えられます。意識的に、相手の視点を取ることができます」
日和が提案した。「ロールプレイしてみますか?海斗さんが親役、私が海斗さん役」
海斗が躊躇した。「変な感じしそう」
「でも、有効な技法です。視点を変えることで、新しい理解が生まれます」
海斗が承諾した。「やってみます」
日和が始めた。「お父さん、進路のことで相談があるんだ」
海斗が親の立場で答えた。「また?お前はいつも…」
そこで止まった。「あれ、親ってこんな不安なんだ」
「気づきましたね」日和が微笑んだ。
海斗が続けた。「将来が心配で、安定した道を歩んでほしいと思ってる」
「親御さんの感情が見えてきましたね」
空が言った。「理解は一方通行じゃない。双方向のプロセスです」
海斗が深く息を吐いた。「難しいな」
「難しいです」日和が認めた。「でも、不可能じゃない」
海斗が聞いた。「どうすれば、お互いにわかり合える?」
「完全に理解し合うのは難しいかもしれません」日和が正直に言った。「でも、理解しようとする姿勢は伝わります」
空が補足した。「『わかった』より『わかろうとしている』が大切です」
海斗が頷いた。「わかろうとする、か」
日和が静かに言った。「そして、自分も完璧に理解されることを期待しない」
「期待を下げるってこと?」
「現実的にするってことです。誰も完璧には理解できない。でも、部分的には理解できる」
空が例を出した。「70パーセントの理解でも、十分つながりは生まれます」
海斗が笑った。「100パーセントじゃなくていいんだ」
「むしろ、100パーセントを求めると、関係が壊れます」日和が警告した。
海斗がスマホを取り出した。「親に、もう一度話してみる。今度は、親の気持ちも聞いてみる」
「良い決断ですね」日和が微笑んだ。
空が言った。「『わかってくれない』と思う時、自分も『わかろうとしていない』かもしれません」
海斗が頷いた。「相互理解、か。難しいけど、やってみる」
窓の外、夕日が沈みかけていた。理解の旅は、これから始まる。