「酸素って、なんで必要なんですか?」
奏が窓を開けながら聞いた。
透真が即答した。「呼吸するためでしょ?」
「でも、呼吸ってなに?」
零が静かに答えた。「エネルギーを取り出す過程。酸素は、最終電子受容体だ」
「電子受容体?」奏が首をかしげた。
「電子を受け取る分子。酸素は、電子が大好きだ」
透真が笑った。「酸素が笑う?」
「比喩的に。電子を受け取ると、酸素は満足する」零が説明した。
奏がノートに書いた。「O₂の構造は?」
「二重結合。でも、完全な二重結合じゃない」
「どういうこと?」
「不対電子が二つある。だから、酸素は三重項状態」
透真が混乱した。「三重項?」
「量子力学的な話。簡単に言えば、酸素はラジカル的な性質を持つ」
奏が驚いた。「危険?」
「ある意味で。だから、酸素は反応性が高い」
零が続けた。「燃焼を考えてみよう。木が燃えるのは、酸素が炭素と反応するから」
「C + O₂ → CO₂」透真が書いた。
「そう。このとき、大量のエネルギーが放出される」
奏が考えた。「じゃあ、体内の呼吸も燃焼?」
「ゆっくりとした燃焼だ。グルコースを酸化して、エネルギーを得る」
零が図を描いた。「C₆H₁₂O₆ + 6O₂ → 6CO₂ + 6H₂O + ATP」
「ATP?」
「エネルギー通貨。細胞が使えるエネルギーの形」
透真が質問した。「なんで酸素が必要なの?別の分子じゃダメ?」
「酸素は電子親和力が高い。電子を引き抜く力が強い」
「だからエネルギーが出る?」
「そう。電子が高いエネルギー状態から低いエネルギー状態へ落ちる。その差がATPになる」
奏が理解した。「酸素は、電子の最終目的地?」
「美しい表現だ」零が認めた。「ミトコンドリアで、電子伝達系を下って、最後に酸素が待ってる」
「そこで水になる?」
「H⁺ + e⁻ + O₂ → H₂O。酸素が電子とプロトンを受け取って、水に変わる」
透真がつぶやいた。「水って、燃えカスみたいなもの?」
「ある意味で。呼吸の最終産物」
奏が窓の外を見た。「空気の20パーセントが酸素。それを吸って生きてる」
「でも、昔の地球には酸素がなかった」零が言った。
「なかった?」
「シアノバクテリアが光合成を始めるまで、酸素はほとんどゼロだった」
透真が驚いた。「じゃあ、生物は?」
「嫌気性生物だけ。酸素なしで生きてた」
「酸素が増えて、何が変わった?」
「好気性生物が生まれた。酸素を使うことで、エネルギー効率が跳ね上がった」
零が数字を示した。「嫌気的解糖では、グルコース1つから2ATP。好気的呼吸なら、約36ATP」
「18倍!」奏が驚いた。
「だから、複雑な生命が進化できた。酸素は、生命の革命だった」
透真が考え込んだ。「でも、酸素って毒でもあるよね?」
「鋭い。活性酸素種は、細胞を傷つける」
「ラジカル?」
「スーパーオキシド、過酸化水素、ヒドロキシルラジカル。酸素の危険な顔」
奏が心配した。「じゃあ、どうやって守るんですか?」
「抗酸化酵素。スーパーオキシドディスムターゼ、カタラーゼ」
「酸素を使うけど、同時に守る」透真が理解した。
「生命は、リスクとリターンのバランスを学んだ」
零が静かに言った。「酸素が笑うとき、エネルギーが生まれる。でも、笑い過ぎると危険」
奏が微笑んだ。「だから、ちょうどいい笑顔を保つんですね」
「それが、生命の知恵だ」
三人は、見えない酸素の笑顔を感じながら、深呼吸した。