「また連絡が来なかった」
海斗が部室でスマホを見つめていた。
空が隣に座った。「誰かと喧嘩したんですか?」
「喧嘩じゃない。ただ...期待しすぎたのかもしれない」
日和がお茶を淹れながら尋ねた。「どんな期待を?」
「友達なら、毎日連絡くれるものだと思ってた。相手の気持ちを察してくれると思ってた」
空がノートを開いた。「期待と現実のギャップですね」
「そう言えば簡単だけど」海斗が苦しそうに言った。「なぜこんなに苦しいんだろう」
日和が静かに座った。「期待には二種類あります。現実的な期待と、非現実的な期待」
「違いは?」
「現実的な期待は、相手の能力や状況を考慮したもの。非現実的な期待は、理想化された相手に抱くもの」
海斗が考えた。「俺は、理想化してた?」
「もしかしたら」日和が優しく言った。「相手を完璧な友達として見ていたのかもしれません」
空が補足した。「心理学では、これを理想化と呼びます。相手を実際以上に良い存在として認識すること」
「でも、理想を持つのは悪いこと?」海斗が聞く。
「理想そのものは悪くありません」日和が答えた。「問題は、理想と現実を混同すること」
海斗がスマホを置いた。「相手も自分の生活があるのに、俺のことを最優先にしてくれると思ってた」
「それは不公平な期待かもしれません」空が穏やかに言った。
日和が付け加えた。「期待は、暗黙の契約のようなもの。でも相手は、その契約に同意していない」
「一方的な期待」海斗が呟いた。
「そう。コミュニケーションなしで作られた期待は、失望を生みやすい」
空がノートに書いた。「期待→失望→怒りや悲しみ」
「この循環を断ち切るには?」海斗が聞く。
日和が答えた。「まず、自分の期待に気づくこと。次に、それが現実的かどうか評価すること」
「どうやって?」
「相手の立場で考える。相手にも限界があると認める。完璧を求めない」
海斗がため息をついた。「簡単じゃないな」
「簡単じゃありません」日和が認めた。「でも、関係を壊さないためには必要です」
空が思い出した。「投影という概念もありますよね。自分の理想を相手に投影する」
「その通り」日和が頷いた。「本当の相手ではなく、自分が作り上げた像を見ている」
海斗が窓の外を見た。「じゃあ、相手の本当の姿を見るには?」
「期待を一旦脇に置く。相手の言葉や行動をそのまま受け取る。評価せずに観察する」
「期待しないで関係を築く?」
「期待しないわけではありません」日和が訂正した。「適度で現実的な期待を持つこと」
空が例を出した。「『毎日連絡してくれる』ではなく、『忙しくない時は連絡してくれる』のように」
「相手の状況を考慮した期待」海斗が理解した。
日和が付け加えた。「そして、期待が満たされなかった時の対処法も大切です」
「対処法?」
「失望を認め、でも相手を責めない。期待を調整する。必要なら、話し合う」
海斗が考え込んだ。「話し合うか。俺、それをしてなかった」
「多くの人がそうです」空が言った。「期待を言葉にするのは勇気がいる」
「でも、言葉にしないと、相手は知りようがない」日和が続けた。
海斗がスマホを手に取った。「正直に話してみる。期待しすぎてたって」
日和が微笑んだ。「良い第一歩です」
空がノートを閉じた。「期待を調整することで、関係は続けられる」
「期待しすぎる関係は終わる」海斗が静かに言った。「でも、適切な期待は関係を育てる」
日和が頷いた。「バランスを見つけることが、成熟した関係への道です」
三人は静かに部室にいた。期待という見えない重荷を、少しずつ軽くする方法を学んだ午後だった。