「筋肉が動く瞬間って、何が起きてるの?」
透が自分の腕を見ていた。
「カルシウムが合図を送る」零が答えた。「細胞内のCa2+濃度が急上昇する」
奏がノートに書いた。「普段はどれくらい?」
「細胞質は約0.1マイクロモル。細胞外や小胞体内は1000倍高い」
ミリアが図を描いた。「巨大な濃度勾配」
「そう。その勾配を維持するために、ATPポンプが働いてる」
透が質問した。「なんで、わざわざ低く保つの?」
「信号のため」零が説明した。「普段は低い。だから、少し放出するだけで大きな変化になる」
「スイッチみたい」奏が理解した。
「まさに。オンとオフがはっきりする」
ミリアがノートを見せた。「静止時:0.1 μM、興奮時:1-10 μM」
「100倍の変化」零が言った。「それが合図」
透が考えた。「でも、どうやって放出されるの?」
「カルシウムチャネル」零が説明した。「膜電位の変化や、受容体の刺激で開く」
「筋肉だと、神経からの信号が膜を脱分極させる。それでカルシウムが筋小胞体から放出される」
奏が図を描いた。「神経→膜電位→チャネル開→Ca2+放出」
「正確。そのCa2+が、トロポニンCに結合する」
「トロポニン?」
「筋フィラメントの調節タンパク質。Ca2+が結合すると、形が変わる」
ミリアが補足した。「構造変化→ミオシン結合部位露出→収縮」
「だから筋肉が縮む」透が理解した。
「そう。でも、Ca2+が除去されると、すぐに緩む」
零が続けた。「収縮と弛緩は、Ca2+濃度で完全に制御される」
奏が別の疑問を持った。「他の細胞でも、Ca2+は使われるの?」
「ほとんど全ての細胞で」零が答えた。「セカンドメッセンジャーとして」
「セカンド?」
「第一の信号はホルモンや神経伝達物質。それが細胞表面の受容体に結合する」
「受容体が活性化されると、細胞内でCa2+が放出される。これが第二の信号」
透が整理した。「外の信号を、内部の言葉に翻訳する」
「良い表現」零が認めた。
ミリアがリストを見せた。「神経伝達、ホルモン分泌、遺伝子発現、細胞分裂…」
「全てCa2+が関わる」零が説明した。「多機能なメッセンジャー」
奏が聞いた。「でも、どうやって違う機能を?」
「結合タンパク質が違う」零が答えた。「カルモジュリンが代表的」
「カルモジュリン?」
「Ca2+と結合するタンパク質。形が変わって、他のタンパク質を活性化する」
ミリアが構造を描いた。「4つのCa2+結合部位」
「Ca2+が結合すると、カルモジュリンが開く。標的タンパク質を包み込む」
透が感心した。「分子の握手だ」
「そう。でも、標的によって効果が違う。キナーゼを活性化したり、チャネルを開いたり」
奏が理解した。「同じ信号、違う結果」
「場所とタイミングで、意味が変わる」零が言った。「文脈依存の信号」
ミリアがメモを見せた。「Ca2+過剰→細胞死」
「バランスが重要」零が続けた。「高すぎると、有害。ミトコンドリアが傷み、アポトーシスが起きる」
「だから、厳密に制御される」
透が質問した。「病気とかある?」
「たくさん」零が答えた。「心不全はCa2+制御の異常。神経変性疾患もCa2+過負荷に関連」
奏が真剣になった。「小さなイオン、大きな役割」
「まさに。Ca2+は生命の基本シグナル」
ミリアが窓の外を見た。心臓が鼓動してる。それは、規則正しいCa2+の波。
「見えないけど、感じる」奏が言った。
「そう。カルシウムが合図を送るとき、生命が動く」
透が自分の手を開いたり閉じたりした。「今も、Ca2+が」
「何億個の分子が、協調して働いてる」零が静かに言った。
「美しいオーケストラ」奏がつぶやいた。
ミリアも頷いた。カルシウムイオン。小さなメッセンジャー。でも、生命のあらゆる瞬間を支える存在。
四人は静かに座った。体の中で、今この瞬間も、カルシウムが合図を送り続けている。生きるということは、信号を送り続けること。