「日和さん、また誰かの相談ですか?」
空が図書館で声をかけた。日和は疲れた顔をしていた。
「はい...友達が落ち込んでいて」日和が小さく答えた。
「いつもそうですね」空が静かに観察する。
その時、ミラが隣に座った。いつものように無言で。
日和が続けた。「でも、最近少し疲れてきました」
「なぜですか?」空が聞いた。
「友達の問題が、自分の問題のように感じるんです。彼女が悲しいと、私も悲しくて。彼女が不安だと、私も眠れなくて」
ミラがノートに書いた。「境界線の曖昧化」
空が興味を示した。「境界線?」
「自分と他者の心理的な境界」日和が説明した。「健康な関係では、この境界が明確です。でも、曖昧になると...」
「相手の感情が、自分の感情になってしまう」空が理解した。
日和が頷いた。「共感と、巻き込まれることは違うんです。でも、区別が難しい」
ミラが新しいページを開いた。「共依存」という言葉が見えた。
「共依存」空が読んだ。「相手がいないと自分の価値を感じられない状態ですか?」
「それも一面です」日和が答えた。「相手の問題を解決することで、自分の存在意義を見出してしまう」
空が考えた。「日和さんは、そうなってるんですか?」
日和が窓の外を見た。「分からないんです。助けたいという気持ちが本物なのか、それとも自分が必要とされたいだけなのか」
ミラが静かに言った。「両方かもしれない」
二人が驚いた。ミラが自分から話すのは珍しい。
「両方?」日和が聞いた。
ミラが書いた。「純粋な動機は存在しない。でも、気づくことが大切」
空が補足した。「自分の動機を理解していれば、境界線を引ける」
日和が深く息をした。「でも、境界線を引いたら、相手を見捨てることになりませんか?」
「それは誤解です」空が言った。「境界線は壁じゃない。健全な距離です」
ミラが図を描いた。二つの円が、少し重なっている。
「これが健全な関係」ミラが説明した。「完全に離れてもいない。完全に重なってもいない」
日和が図を見つめた。「適度な距離...」
「相手の感情を理解しても、それを自分の責任にしない」空が加えた。
「でも、どうやって?」日和が聞いた。
空が考えた。「まず、自分の感情と相手の感情を区別すること」
ミラが書いた。「『あなたは悲しい』と『私は悲しい』の違い」
日和が理解し始めた。「相手が悲しいことと、私が悲しいことは、別々の事実」
「そうです」空が頷いた。「共感はできる。でも、相手の感情を背負う必要はない」
日和が自分の手を見た。「私、いつも相手の感情を背負ってました」
「それで疲れたんですね」空が静かに言った。
ミラが新しいメモを見せた。「境界線は、相手を拒絶するためではなく、両者を守るため」
日和が涙ぐんだ。「でも、境界線を引いたら、冷たい人間になりませんか?」
「逆です」空が答えた。「境界線があるから、持続可能な支援ができる」
ミラが頷いた。「燃え尽きない関係」
日和が少しずつ理解した。「自分を守ることが、結局は相手も守ることになる」
「その通り」空が認めた。
日和がノートに書き込んだ。「健全な境界線:共感はするが、巻き込まれない」
ミラが小さく微笑んだ。「第一歩」
「これから、境界線を意識してみます」日和が言った。「簡単じゃないと思いますが」
「簡単じゃないです」空が認めた。「でも、気づいたことが大切」
ミラが静かに立ち上がった。去り際、日和の肩に軽く手を置いた。
「あなたは十分に優しい」
日和が驚いて見上げたが、ミラはもう歩き去っていた。
空が微笑んだ。「ミラさんの言う通りです。境界線を引いても、あなたの優しさは変わりません」
日和が初めて楽な笑顔を見せた。「ありがとう。少し、心が軽くなりました」
窓の外、夕日が優しく差し込む。境界線を理解することは、自分も他者も大切にすることだと、日和は学んだ。