「この釘、錆びてる」
透真が古い釘を拾った。
零が説明した。「酸化だ。鉄が酸素と反応してる」
「酸化?」奏が聞き返した。
「電子を失うこと」ミリアが補足した。「Fe → Fe²⁺ + 2e⁻」
「電子が取られる?」
「酸素に」零が続けた。「O₂ + 4e⁻ → 2O²⁻」
透真がノートに書いた。「鉄が電子を渡して、酸素が受け取る」
「これが酸化還元反応」ミリアが言った。「常にペアで起きる」
奏が確認した。「酸化と還元?」
「そう。一方が電子を失えば、もう一方が得る」
零が錆の化学式を書いた。「Fe₂O₃、酸化鉄。鉄が三価になってる」
「なんで錆びると脆くなるの?」透真が質問した。
「金属結合が失われるから」ミリアが答えた。「電子が奪われて、構造が崩れる」
「でも」奏が言った。「体の中でも酸化が起きてる?」
「常に」零が頷いた。「呼吸そのものが酸化反応だ」
「呼吸?」
「グルコースを酸化して、エネルギーを取り出す。C₆H₁₂O₆ + 6O₂ → 6CO₂ + 6H₂O」
ミリアが付け加えた。「電子伝達系で、電子が順次渡される」
「順次?」
「NADHやFADH₂から、電子が複合体Iへ。そこから複合体IIIへ、最後に酸素へ」
透真が理解した。「バケツリレーみたいだ」
「良い比喩」零が認めた。「各段階でエネルギーが取り出される」
奏が質問した。「でも、酸化ストレスって聞いたことある」
「活性酸素種の問題だ」ミリアが説明した。
「活性酸素?」
「不完全に還元された酸素。スーパーオキシド、過酸化水素、ヒドロキシルラジカル」
零が補足した。「電子伝達の副産物。一部の酸素が、完全に還元される前に漏れ出る」
「危ない?」
「非常に反応性が高い。DNAやタンパク質を酸化させる」
透真が驚いた。「呼吸するだけで、傷つく?」
「そう。老化の一因とも言われてる」
ミリアが続けた。「だから抗酸化システムがある」
「どんな?」
「スーパーオキシドジスムターゼ、カタラーゼ、グルタチオンペルオキシダーゼ」
零が説明した。「これらの酵素が、活性酸素を無害化する」
奏がメモした。「還元剤?」
「そう。電子を与えて、活性酸素を安定させる」
透真が食べ物を思い出した。「ビタミンCも抗酸化?」
「そう」ミリアが答えた。「ビタミンC、E、カロテノイド。全て電子供与体」
「酸化されることで、他を守る」
零が付け加えた。「犠牲的還元剤だ」
奏がつぶやいた。「錆びつくって、怖い」
「でも避けられない」ミリアが言った。「酸素呼吸を選んだ代償」
「代償?」
「酸素は強力な酸化剤。エネルギーは得られるけど、リスクもある」
零が続けた。「嫌気性生物は、この問題がない。でもエネルギー効率が悪い」
透真が理解した。「トレードオフなんだ」
「進化の選択」ミリアが頷いた。
奏が釘を見つめた。「私たちも、ゆっくり錆びてる」
「そう」零が静かに言った。「でも、修復システムもある」
「バランス」
「そう。酸化と還元、傷つくことと修復すること」
透真が微笑んだ。「完璧じゃないけど、続いてる」
「それが生命」ミリアが言った。
四人は錆びた釘を見つめた。酸化は終わらない。でも、それに抗う力も、確かに存在する。