「君には、私の気持ちは分からない」
サイモンの言葉に、晴が驚いた。
「どうして?」
「文化が違う。育った環境が違う。経験が違う」
乃愛が興味深そうに聞いた。「他者理解は不可能だと?」
「完全な理解は、ね」
晴が反論した。「でも、共感はできる。想像することはできる」
「想像と理解は違う」サイモンが穏やかに言った。
「どう違うの?」
「想像は、自分の枠組みで他者を解釈すること。理解は、他者の枠組みを受け入れること」
乃愛が頷いた。「深い区別だね」
晴が考え込んだ。「じゃあ、私が『分かる』って言うとき、実は分かってない?」
「分かった気になっているだけかもしれない」
「それって、悲しくない?」
サイモンが微笑んだ。「悲しいが、謙虚になれる」
乃愛が補足した。「完全な理解が不可能だと認めることが、真の理解の始まりかも」
晴が混乱した。「矛盾してない?」
「パラドックスだね」乃愛が楽しそうに言った。「理解の不可能性を理解する」
サイモンが例を挙げた。「君が『寂しい』と言ったとき、私は自分の寂しさの経験を参照する」
「それじゃダメなの?」
「君の寂しさと、私の寂しさは、同じじゃないかもしれない」
晴が納得しかけた。「でも、近いんじゃない?」
「近いと仮定しているだけ」
乃愛が別の角度から切り込んだ。「でも、その『近さ』がコミュニケーションを可能にする」
「そう」サイモンが認めた。「完全な理解は不可能だが、部分的な理解は可能」
晴が聞いた。「どこまで理解できる?」
「分からない。その限界さえも、測れない」
「じゃあ、どうすれば?」
乃愛が静かに言った。「対話を続けること。問い続けること」
サイモンが続けた。「『分かった』で終わらず、『もっと教えて』と言い続ける」
晴が考え込んだ。「他者理解は、プロセス?」
「終わりのないプロセス」乃愛が頷いた。
「それって、疲れない?」
サイモンが笑った。「疲れる。だから、人は安易な理解に逃げる」
「安易な理解?」
「ステレオタイプ、ラベル、カテゴリー。複雑さを切り捨てる」
乃愛が付け加えた。「効率的だけど、暴力的」
晴が驚いた。「暴力?」
「個別性を無視する暴力」サイモンが真剣な顔をした。「君を『日本人』とだけ見れば、君という個人は消える」
「でも、共通点を見つけるのも大事じゃ?」
「バランスだ」乃愛が言った。「共通性と個別性、両方を見る」
晴が整理した。「他者を理解するって、共通点を探しつつ、違いを尊重すること?」
「そして、決して完全には理解できないと認めること」サイモンが付け加えた。
「謙虚さが鍵?」
「そう。傲慢な理解は、他者を支配する」
乃愛が静かに言った。「他者は謎のまま。その謎を尊重する」
晴が考え込んだ。「でも、謎のままで親しくなれる?」
「むしろ、謎だから魅力的」サイモンが微笑んだ。「すべて分かったら、興味を失う」
「恋愛みたい」晴が笑った。
「友情も同じ」乃愛が言った。「相手の予測不可能性が、関係を生き生きさせる」
サイモンが窓の外を見た。「私は留学生だ。君たちの文化を完全には理解できない」
「私たちも、サイモンを完全には理解できない」晴が答えた。
「でも、対話できる」
「それが、他者理解の本質かもね」乃愛が微笑んだ。「完全じゃないけど、誠実な試み」
晴が深呼吸した。「じゃあ、『分かる』って軽々しく言わない方がいい?」
「時と場合による」サイモンが言った。「でも、心の中で留保を持つ。『完全には分からないけど、寄り添おうとしている』と」
乃愛が頷いた。「他者理解は、到達点じゃなくて、姿勢」
晴が微笑んだ。「サイモン、もっと教えて。君のこと」
「喜んで」サイモンが答えた。「でも、すべては話せない。言葉にならないことも多い」
「それでいい」晴が言った。「分からないまま、一緒にいられる」
三人は静かに頷いた。他者は永遠に他者。でもだからこそ、対話は終わらない。