「この分子、重さは?」
ミリアが奏に構造式を見せた。
「計算すればいいんですか?」
「各原子の原子量を足す。炭素は12、水素は1、酸素は16」
奏が計算した。「C₆H₁₂O₆だと…180?」
「正解。グルコースの分子量は180」零が確認した。
「でも、この数字に意味は?」ミリアが聞いた。
奏が考えた。「重さ…?」
「単位は?」
「グラム?」
「違う。正確には、原子質量単位。または、グラム毎モル」
零が説明した。「モルは量の単位。6.02×10²³個の集まり」
「アボガドロ定数」奏が思い出した。
「そう。だから分子量180は、180グラムに6.02×10²³個のグルコースが含まれる」
ミリアが試薬瓶を持ってきた。「これが180グラムのグルコース。1モルだ」
「見た目は普通の粉」奏が観察した。
「でもこの中に、天文学的な数の分子が詰まってる」
零が別の化合物を示した。「エタノールの分子量は46。グルコースより軽い」
「軽いと、何が違うんですか?」
「拡散速度が違う。軽い分子は速く動く」ミリアが答えた。
「なんで?」
「同じ温度なら、運動エネルギーは同じ。½mv²。質量mが小さいと、速度vが大きくなる」
奏がノートに書いた。「軽いほど速い」
零が続けた。「だから香りの分子は軽い。速く拡散して、鼻に届く」
「逆に重い分子は?」
「ゆっくり動く。DNAやタンパク質は巨大で、重い」
ミリアが図を描いた。「ヘモグロビンの分子量は64,500。グルコースの約360倍」
「そんなに!」奏が驚いた。
「巨大分子には、複雑な機能がある。酸素を運ぶ、触媒になる、情報を保存する」
零が付け加えた。「分子量が大きいと、立体構造も複雑になる」
「だから機能も豊かになる?」
「その通り。でも合成も分解も遅くなる」
奏が質問した。「細胞は、分子量をどうやって制御してるんですか?」
「遺伝子の長さで決まる」ミリアが答えた。「長い遺伝子からは、大きなタンパク質ができる」
「必要に応じて調整される?」
「そう。小さな酵素もあれば、巨大な構造タンパク質もある」
零が考えた。「分子量は、分子のアイデンティティの一部だ」
「アイデンティティ?」
「質量分析で、分子を同定する。分子量を測れば、何の物質か分かる」
ミリアが実験データを見せた。「このピークが分子量180。グルコースだと確認できる」
奏が理解した。「分子の指紋?」
「良い比喩。質量は嘘をつかない」
零が別の例を出した。「同位体の違いも分かる。炭素12と炭素13」
「わずかな差?」
「1だけ。でも、質量分析計なら区別できる」
ミリアがつぶやいた。「分子量は、分子の物語を語る」
「物語?」奏が興味を示した。
「どんな原子でできてるか。どんな構造か。どんな性質を持つか」
零が窓の外を見た。「空気中の分子も、それぞれ違う分子量だ」
「窒素28、酸素32、二酸化炭素44」
「だから重さの違いで、高度によって組成が変わる」
奏が試薬瓶を手に取った。「この重さに、分子の個性が詰まってる」
「そして、その個性が世界を作ってる」ミリアが静かに言った。
零が頷いた。「分子量は数字じゃない。分子の人生の重みだ」
三人は、目に見えない質量の意味を、静かに感じていた。