「この抗うつ薬、がんに効くかもしれない」
エイジが唐突に言った。
「え?」リナが驚いた。「抗うつ薬ががん?全く関係ないでしょう」
「表面的にはね。でも、分子レベルで見ると、意外な繋がりがある」
アキラが興味を示した。「どういうこと?」
「この抗うつ薬、セロトニントランスポーターを阻害する。それが主作用だ」
「うん」
「でも、副次的にシグマ受容体にも結合する。これががん細胞の増殖を抑制するんだ」
リナが目を輝かせた。「オフターゲット効果を利用するのか」
「そう。これがドラッグリポジショニングの面白さだ」
「ドラッグリポジショニング?」
エイジが説明した。「既存の薬を、元とは違う疾患に使う戦略だ。開発コストが低く、安全性データも揃っている」
「なるほど」アキラが納得した。「新薬開発より速い」
「正確。第I相試験をスキップできる場合もある」
リナがデータベースを検索した。「他にも例はあるの?」
「たくさんある。サリドマイドとか」
「サリドマイド…あの悪名高い薬?」
「そう。催奇形性で使用禁止になった。でも、今は多発性骨髄腫の治療薬として復活している」
「なんで?」
エイジが説明した。「血管新生を阻害する作用があったんだ。がん細胞への栄養供給を断つ」
アキラが別の例を思い出した。「バイアグラもそうだよね。元は狭心症の薬だった」
「そう。臨床試験で、血圧降下作用は弱いけど、別の効果が…」
「勃起不全治療薬として大成功」
リナが笑った。「偶然の発見だね」
「セレンディピティだ。でも、今は偶然に頼らない」エイジが真剣になった。
「どうやって?」
「計算的アプローチだ。既存薬の構造と、新しい標的の結合ポケットをドッキングする」
「バーチャルスクリーニング?」
「そう。数千の既存薬を、新しい標的に対してテストする」
アキラが補足した。「さらに、副作用情報も利用できる」
「副作用?」
「副作用は、オフターゲット効果の証拠だ。それを逆に利用する」
エイジが例を挙げた。「例えば、ある薬が高血糖の副作用を起こすなら、糖代謝に関わる標的に結合している可能性がある」
「その標的が、別の疾患に関係していたら…」
「リポジショニングの候補になる」
リナが感心した。「副作用が新薬のヒントになるのか」
「災い転じて福となす、だ」
アキラが疑問を呈した。「でも、全ての既存薬がリポジショニングできるわけじゃないよね」
「もちろん。成功率は低い。でも、試す価値はある」
エイジがグラフを見せた。リポジショニング成功例の統計。
「抗炎症薬、抗精神病薬、抗生物質…様々なクラスから成功例が出ている」
「共通点は?」
「多標的性。ポリファーマコロジーだ」
「ポリファーマコロジー?」
「一つの薬が複数の標的に作用する性質。昔は望ましくないとされたけど、今は再評価されている」
リナが納得した。「複雑な疾患には、複数の標的を同時に叩く必要があるからね」
「そう。がんとか、神経変性疾患とか」
アキラが新しい視点を提示した。「AIも使えるんじゃない?」
「既に使われている」エイジが答えた。「遺伝子発現パターン、薬剤応答データ、構造情報…全てを統合して、リポジショニング候補を予測する」
「すごい時代だ」
「でも」エイジが警告した。「最終的には臨床試験が必要だ。計算は仮説を与えるだけ」
リナが言った。「それでも、闇雲に探すよりずっといい」
「そう。データ駆動型のドラッグリポジショニング。これが未来だ」
アキラが冗談めかして言った。「じゃあ、頭痛薬が認知症に効く可能性もある?」
エイジが微笑んだ。「分からない。でも、調べてみる価値はある」
意外な候補が、ドラッグリポジショニングの影に潜んでいる。それを見つけるのは、データと直感の両方が必要だ。