「この化合物、ドッキングスコアは良いのに、活性が低い」
アキラが困惑した表情でデータを見ていた。
「相互作用フィンガープリントを見てみよう」リナが提案した。
「フィンガープリント?」瀬奈が聞いた。
「タンパク質-リガンド間の相互作用パターンをビット列で表現したものだ」
リナが画面に表示させた。0と1の列。
「1が立っているビットは、その相互作用が存在することを示す」
「どんな相互作用を見るんですか?」
「水素結合、疎水性接触、π-π相互作用、塩橋…全て記録する」
アキラが二つの化合物のフィンガープリントを並べた。
「化合物A:111010010110 化合物B:110010010010」
「ほとんど同じですね」瀬奈が言った。
「でも、3ビット目が違う。化合物Aは1、化合物Bは0」
リナが説明した。「3ビット目は、Asp228との水素結合だ」
「その水素結合があるかないかで、活性が変わる?」
「そう。Asp228は活性部位の重要な残基だ。ここと相互作用しないと、活性が大幅に下がる」
アキラが理解した。「だから化合物Bは活性が低かったのか」
「スコアだけ見ても分からない。フィンガープリントで初めて分かる」
瀬奈がノートに書いた。「相互作用のパターンが重要なんですね」
「そう。同じスコアでも、異なる相互作用パターンがありうる」
リナが別の例を見せた。既知の強力な阻害剤のフィンガープリント。
「これが理想的なパターンだ。5つの重要な相互作用、全てを満たしている」
「新しい化合物も、このパターンを目指すんですか?」
「そうだ。ファルマコフォアの考え方に近い」
アキラが補足した。「必須の相互作用点を特定して、それを満たす化合物を探す」
「でも」瀬奈が疑問を呈した。「既知の阻害剤と同じパターンだと、新規性がないのでは?」
「鋭い」リナが感心した。「だから、コア部分は保ちつつ、追加の相互作用を探す」
「追加?」
「未利用のポケット領域との相互作用だ。これで活性や選択性を上げる」
アキラがフィンガープリントの比較を行った。「既知薬と候補化合物、Tanimoto係数で類似度を計算できる」
「Tanimoto係数?」
「共通して1になっているビット数を、全体の1のビット数で割った値だ」
瀬奈が計算した。「0.75…かなり似ていますね」
「そう。でも完全一致じゃない。どこが違うか見る」
リナが違いを指摘した。「疎水性ポケットとの接触が、候補化合物にはない」
「じゃあ、そこを改善すれば…」
「活性が上がる可能性がある」
アキラが新しい構造を描き始めた。「ここに疎水性置換基を追加してみよう」
再ドッキング。新しいフィンガープリント。
「111011010110」
「疎水性接触のビットが立った!」瀬奈が喜んだ。
「これで既知薬により近づいた」リナが満足そうだった。
「フィンガープリントって、結合様式の要約なんですね」瀬奈が言った。
「そう。複雑な三次元相互作用を、シンプルなビット列で表現する」
「でも」アキラが警告した。「フィンガープリントも完璧じゃない」
「どういうことですか?」
「距離カットオフの設定とか、相互作用の定義とか、パラメータに依存する」
リナが頷いた。「だから、フィンガープリントと実際の構造、両方を見る」
「可視化が大事だ」
瀬奈が画面上のタンパク質-リガンド複合体を回転させた。水素結合が黄色い点線で表示されている。
「見えた。この相互作用が活性の鍵なんですね」
「フィンガープリントは地図だ。でも、実際の景色も見ないといけない」リナが言った。
アキラが締めくくった。「フィンガープリントが語る真実。それを読み解くのが、私たちの仕事だ」
相互作用のパターン。そこに、薬の秘密が隠されている。