「同じタンパク質なのに、mRNAが違うと発現量が100倍変わる」
ミハイルが静かに言った。
「100倍?」瀬奈が驚いた。「アミノ酸配列は同じなのに?」
「そう。コドンの選び方で、翻訳効率が劇的に変わるんだ」
リナが興味を示した。「コドン最適化ね」
「正確には、それ以上だ。コドンだけじゃない。RNA二次構造、5'UTR、3'UTR…全てが翻訳効率に影響する」
瀬奈がノートを開いた。「順番に教えてください」
「まず、コドン。アミノ酸をコードする3塩基配列だ」
「それは知ってます」
「でも、コドンには縮重がある。ロイシンなら6種類のコドンがある」
「6種類…どれを選んでもいいんですか?」
「理論上はね。でも、翻訳効率は変わる」
ミハイルが表を見せた。各コドンの使用頻度。
「生物種ごとに、好まれるコドンがある。コドンユーセージバイアスだ」
「ヒトで高発現させたいなら、ヒトの好むコドンを使う」
リナが補足した。「それは、tRNAの存在量に対応している」
「tRNA?」
「トランスファーRNA。コドンを認識して、アミノ酸を運ぶ」
「豊富なtRNAに対応するコドンを使えば、翻訳が速い」
瀬奈が理解した。「だから同じアミノ酸配列でも、発現量が変わるんですね」
「そう。でも、それだけじゃない」ミハイルが続けた。
「他に何が?」
「RNA二次構造だ。mRNAは一本鎖だけど、自分で折りたたまる」
「ヘアピン構造とか?」
「そう。特に5'末端近くに強い二次構造があると、リボソームが結合できない」
「翻訳が始まらない…」
「だから、5'UTRと翻訳開始コドン付近は、二次構造を避けるようにデザインする」
リナが質問した。「どうやって二次構造を予測するの?」
「計算ツールだ。RNAfoldとか。自由エネルギー最小化で構造を予測する」
「じゃあ、低エネルギーの構造を避けるようにコドンを選ぶ?」
「正解。何度も計算して、最適な配列を見つける」
瀬奈が別の疑問を持った。「でも、コドンを変えると、二次構造も変わりますよね」
「そう。だから多目的最適化問題になる」
「多目的?」
ミハイルが説明した。「コドン使用頻度を最大化しつつ、二次構造を最小化する。両方を満たす配列を探す」
「難しそう…」
「だから、機械学習の出番だ」
リナが目を輝かせた。「AIでmRNAをデザインする?」
「そう。既知のmRNA配列と発現量のデータから、モデルを訓練する」
「どんなモデル?」
「畳み込みニューラルネットワークとか。配列パターンを学習する」
瀬奈が感心した。「AIが最適なmRNA配列を提案してくれるんですか」
「理想的にはね。でも、まだ完璧じゃない」
「何が難しいんですか?」
「発現量に影響する要因が多すぎるんだ。コドン、二次構造、UTR、さらにはmRNA安定性、細胞内局在…」
リナが補足した。「しかも、細胞種によっても変わる」
「そう。肝細胞で最適な配列が、神経細胞では最適じゃない」
瀬奈がため息をついた。「複雑すぎる」
「でも、最近のmRNAワクチンの成功で、この分野は急速に進歩している」ミハイルが言った。
「COVID-19ワクチン?」
「そう。あれも、コドン最適化と修飾ヌクレオチドの組み合わせだ」
リナが詳しく説明した。「シュードウリジンという修飾塩基を使って、免疫応答を抑えつつ、翻訳効率を上げた」
「すごい技術ですね」
ミハイルが微笑んだ。「mRNA医薬の時代が来ている。タンパク質を直接投与するんじゃなく、その設計図を投与する」
「設計図をデザインする、か」瀬奈がつぶやいた。
「そう。mRNA配列に隠された翻訳効率の設計図。それを読み解き、書き換える」
リナが言った。「生命のプログラムを編集している感じね」
ミハイルが頷いた。「だからこそ、慎重にデザインしないといけない」
翻訳効率という見えない性質。でも、配列という形で制御できる。それがmRNAデザインの魅力だ。