「手紙、書いたことある?」
ミラの珍しい質問に、由紀は驚いた。普段は寡黙なミラが、自分から話しかけてきた。
「最近はあまり…メールが多いです」
「手紙もメールも、通信路が違うだけで、本質は同じだ」葵が説明を加えた。
ミラがノートに図を描いた。シンプルな通信モデル。
「送信者 → 符号化 → 通信路 → 復号化 → 受信者」
「シャノンの通信モデルね」葵が頷いた。「情報理論の基礎だ」
由紀が図を見つめた。「送信者と受信者の間に、通信路がある…」
「そう。通信路は、情報が流れる経路。物理的なケーブルかもしれないし、電波かもしれない。空気を伝わる音波も通信路だ」
ミラが書き加えた。「Channel has noise. Message may change.」
「通信路にはノイズがある。だから、送ったメッセージと受け取ったメッセージが違うことがある」
由紀がふと思った。「人と人の会話も、そうですよね」
「まさに。君が言葉にした時点で符号化。相手が聞いて理解する時点で復号化。その間に、誤解というノイズが入る」
ミラが静かに頷いた。
「でも」由紀が続けた。「ミラさんは寡黙だけど、伝わってくるものがあります」
ミラが少し驚いた表情を見せた。
葵が微笑んだ。「それが相互情報量だ。I(X;Y)。送信者Xと受信者Yが共有する情報の量」
「共有する情報?」
「送信者が持つ情報のうち、実際に受信者に届いた部分。完璧な通信なら、全ての情報が届く。でもノイズがあると、一部しか届かない」
ミラが新しい図を描いた。二つの円が重なっている。ベン図。
「一つの円が送信者の情報、もう一つが受信者の情報。重なり部分が相互情報量」
「重ならない部分は?」由紀が聞いた。
「送信者が持ってるけど伝わらなかった情報。あるいは、受信者が独自に推測した情報」
由紀が理解した。「だから、言葉少なくても、相互情報量が高ければ、よく伝わる…」
ミラが静かに微笑んだ。珍しい表情だった。
葵が続ける。「通信の効率は、通信路容量と送信速度で決まる。でも、人間の会話では、単に速く話せばいいわけじゃない」
「相手が理解できる速度で、適切に符号化する」由紀が言った。
「そう。通信は、送信者だけでも受信者だけでも成立しない。両者と通信路が合わさって初めて機能する」
ミラがメモを見せた。「Communication is mutual. Not one-way.」
「双方向的ってこと?」
「厳密には、フィードバックも通信の一部。受信者が理解したか確認するために、応答を返す。それも通信路を通る」
由紀が考えた。「ミラさんが頷くのも、フィードバックなんですね」
ミラが頷いた。それ自体がフィードバックだった。
「通信路の先には、必ず誰かがいる。その人を意識することが、良い通信の第一歩だ」葵が言った。
由紀はノートに図を描いた。自分を送信者、相手を受信者として。その間に通信路。
「通信路にはノイズがあるけど、適切に符号化すれば、相互情報量を最大化できる」
「そして、相手からのフィードバックを受け取って、符号化を調整する」
ミラが小さな紙を由紀に渡した。
「Thank you for understanding.」
シンプルな英語だったが、高い相互情報量を持っていた。
由紀は微笑んだ。「こちらこそ。私も、ミラさんからたくさん学んでます」
通信路の先には、いつも誰かがいる。その人のために、最良の符号化を選ぶ。それが通信の本質だった。