「写真、多すぎる」
晴がスマホを見つめた。何千枚もの画像。
美緒が隣に座った。珍しく、自分から。
「削除する?」美緒が小さく聞いた。
「でも、どれも大事な気がして」
「本当に?」
晴が止まった。「本当に...大事?」
美緒が晴のスマホを見た。似たような風景写真が続く。
「これ、覚えてる?」美緒が一枚を指差した。
「...覚えてない」晴が正直に言った。
「存在してるけど、記憶にない」
晴が考え込んだ。「存在だけでは意味がない?」
美緒が頷いた。「クンデラが書いた。『存在の耐えられない軽さ』」
「軽さ?」
「デジタル写真は軽い。いくらでも撮れる。いつでも消せる」
「でも、それが問題?」
美緒が静かに言った。「軽いから、重みがない」
晴が反論した。「でも、昔のフィルム写真だって、結局は紙だよ」
「違う」美緒が珍しく強く言った。「フィルムには制約があった。だから、一枚一枚に重みがあった」
「制約が重みを生む?」
「そう。選択の余地が少ないほど、選択は重くなる」
晴がスマホを置いた。「じゃあ、私の写真は軽すぎる?」
「軽いことは悪くない」美緒が訂正した。「ただ、違う存在の仕方」
「違う存在の仕方?」
美緒が窓を見た。「重い存在と、軽い存在」
「どっちが良い?」
「どちらも」美緒が微笑んだ。「重さには深さがある。軽さには自由がある」
晴が理解しようとした。「重い存在は?」
「フィルム写真、手紙、会いに行くこと。手間がかかる。でも、だから大切」
「軽い存在は?」
「デジタル写真、メッセージ、ビデオ通話。簡単。でも、だから気軽」
晴が混乱した。「で、どっちが良いの?」
「両方必要」美緒が断言した。「重いものだけでは息苦しい。軽いものだけでは空虚」
晴が写真を見た。「じゃあ、どうすればいい?」
「選ぶ」美緒が言った。「軽い写真の中から、重くする写真を選ぶ」
「重くする?」
「プリントする。アルバムに入れる。物理的な形にする」
晴が気づいた。「軽さから重さへの変換」
「そう。デジタルは可能性。物理は決定」
晴がいくつかの写真を選んだ。「これは残したい」
美緒が見た。友達との笑顔。夕日。雨の窓。
「良い選択」
「でも」晴が悩んだ。「他の写真は消す?」
「消さなくていい」美緒が言った。「軽いまま、そこにあればいい」
「軽い存在も、存在?」
「当然」美緒が微笑んだ。「図書館の本みたいに。読まれなくても、そこにある」
晴が安心した。「じゃあ、軽い写真は背景。重い写真は前景」
「詩的だけど、正確」
二人はしばらく写真を見た。
晴がふと聞いた。「美緒は、重い存在?軽い存在?」
美緒が考えた。「どっちだと思う?」
「分からない。いつも静かだけど、確かにそこにいる」
「それが答え」美緒が言った。「静かだから軽い。でも、確かだから重い」
晴が理解した。「矛盾してない」
「矛盾してる。でも、それが人間」
晴が笑った。「存在の重さと軽さは、両立する」
「両立するだけじゃない」美緒が続けた。「行き来する」
「行き来?」
「時には重く、時には軽く。状況によって変わる」
晴がスマホを見た。何千枚の軽い存在。その中に、少しの重い存在。
「バランスが大事」晴がつぶやいた。
「そう」美緒が立ち上がった。「重すぎず、軽すぎず」
美緒が去っていく。その足取りは軽い。でも、残した言葉は重い。
晴は選んだ写真をプリントすることにした。軽さを重さに。デジタルを物理に。可能性を決定に。
そして、残りの写真は軽いまま、クラウドの中で眠る。いつか、また選ばれる日まで。
存在には、重さと軽さがある。どちらも必要。どちらも美しい。