「日和さん、また無理してませんか?」
空が心配そうに聞いた。日和は三つのサークルと、アルバイト、そして友人の相談まで抱えている。
「大丈夫よ」日和が微笑んだ。でも、その笑顔は少し疲れていた。
レオが本を閉じた。「日和、正直に言って。疲れているだろう?」
日和が少し躊躇した。「...少しだけ」
「なぜ断らないの?」空がストレートに聞いた。
「断ったら、迷惑をかけるから」
レオが静かに言った。「それは、過剰適応かもしれない」
「過剰適応?」日和が聞き返す。自分のことなのに、客観的に考えられない。
空が説明した。「他者のニーズを優先しすぎて、自分の限界を超えてしまうこと。心理学で習いました」
レオが続けた。「日和は、いつも他人の話を聞いている。でも、自分のことは話さない」
日和が否定しかけた。「でも、それが私の役割だから...」
「役割?」空が問い返した。「それとも、本当の自分?」
日和が言葉に詰まった。
レオが優しく言った。「過剰に気を使う人には、共通のパターンがある」
「どんなパターン?」
「子供の頃、親の期待に応えることで安全を得た経験」空が教科書的に答えた。
日和がはっとした。確かに、いつも「良い子」であろうとしてきた。
レオが付け加えた。「そして、拒絶への恐怖。断ったら嫌われる、という信念」
「でも、実際に嫌われたら困る」日和が抵抗した。
空が静かに言った。「日和さん、今まで誰かを断ったことありますか?」
日和が考えた。「...ほとんどない」
「じゃあ、実際に嫌われるかどうか、試したことないんですね」
レオが頷いた。「恐怖は、仮説に過ぎない。検証されていない」
日和が深く息を吐いた。「でも、断る理由がないから...」
「疲れているのは、十分な理由です」空が断言した。
レオが質問した。「日和、境界線という概念を知っているか?」
「心理的な境界線...自分と他者の責任の範囲を区別すること」
「そう。でも、日和の境界線は曖昧だ。他者の問題を、自分の責任だと感じている」
日和が認めた。「確かに...友達が困っていると、助けなきゃって思う」
「それは優しさだ」レオが言った。「でも、持続不可能な優しさは、最終的に誰も助けられない」
空が付け加えた。「燃え尽きてしまったら、元も子もないです」
日和が弱々しく笑った。「分かってる。頭では分かってるんだけど...」
「感情が許さない?」レオが聞いた。
「罪悪感がある。断ったら、自分が悪い人間になる気がする」
空が共感した。「私もそういう気持ち、分かります」
レオが提案した。「小さな実験をしてみよう。次に頼まれたこと、一つだけ断ってみる」
「怖い」日和が正直に言った。
「当然だ。でも、予想と現実のギャップを知ることが大切だ」
空が励ました。「私たちは、日和さんのこと、断っても嫌いになりませんよ」
日和の目が潤んだ。「ありがとう」
レオが続けた。「過剰に気を使うのは、自己防衛の一種だ。でも、それは疲れる防衛だ」
「もっと楽な方法がある?」
「境界線を引くこと。『ここまでは私の責任、ここからは相手の責任』と明確にする」
日和がノートに書いた。「自分を大切にすることは、利己的ではない」
空が頷いた。「自分が満たされて初めて、他者を本当に助けられる」
日和が小さく微笑んだ。「今週、一つだけ断ってみる」
「どれを?」レオが聞いた。
「明日の飲み会。本当は行きたくなかった」
空が拍手した。「良い選択です」
日和が深呼吸した。過剰に気を使う癖は、すぐには治らないかもしれない。でも、意識することが第一歩だ。
「断ることも、誠実さの一つなんですね」日和が呟いた。
レオが認めた。「その通り。自分に正直であることが、最も誠実だ」
今日から、日和は少しずつ変わろうとしている。完璧でなくていい。ただ、自分を大切にすることを学ぶ。