「分かってるのに、書けなかった」
ノアが悔しそうに言った。試験の後。
蓮が興味を持った。「何が分かってた?」
「感覚として。でも、言葉にならない」
「それは本当に『分かっていた』のか?」
ノアが驚いた。「え?」
「言語化できないなら、理解していないのでは?」蓮が問う。
「そんなことない」ノアが反論した。「音楽を聴いて感動する。でも、その感動を説明できない。でも、確かに感じてる」
蓮が考え込んだ。「鋭い例だ」
「思考と言語は別物」ノアが続けた。「言語は思考の一部を切り取るだけ」
「切り取る?」
「思考は流動的。言語は固定的。流れる水を、形のある容器に入れようとする」
蓮が納得しかけて、止まった。「でも、ヴィトゲンシュタインは言った。『言語の限界が世界の限界』」
「知ってる」ノアが微笑んだ。「でも、後期ヴィトゲンシュタインは修正した」
「修正?」
「言語ゲーム理論。言語は世界を切り取る一つの方法。でも、唯一の方法ではない」
蓮が驚いた。「君、哲学史に詳しいな」
「興味があるから」ノアが照れた。「で、言語化できない思考の正体は何だと思う?」
「いくつかの可能性がある」蓮がノートを開いた。「まず、未分化の思考」
「未分化?」
「まだ形になっていない、ぼんやりした考え。直感や感覚に近い」
ノアが頷いた。「それは分かる。でも、それだけじゃない」
「他には?」
「複雑すぎる思考」ノアが提案した。「要素が多すぎて、線形的な言語では表現できない」
蓮が理解した。「並列処理の思考を、直列処理の言語で表現する困難」
「そう。音楽もそう。和音は複数の音が同時に鳴る。でも、言葉は一つずつしか言えない」
「メディアの制約」
ノアが続けた。「もう一つ、暗黙知」
「ポランニーの概念」蓮が認識した。「『我々は語ることができるより多くを知ることができる』」
「自転車の乗り方を言葉で説明できない。でも、体は知ってる」
蓮が考えた。「じゃあ、言語化できない思考は三種類。未分化、複雑、暗黙」
「でも」ノアが慎重に言った。「もう一つある気がする」
「何?」
「言語を超えた思考」
蓮が真剣になった。「言語を超えた?」
「言語では捉えられない領域。神秘的体験、深い美的感動、存在の直接的経験」
「形而上学的だな」
「でも、否定できない」ノアが静かに言った。「言語がすべてを捉えられるという保証はない」
蓮が認めた。「確かに。科学も、測定できないものは扱えない。でも、測定できないものが存在しないわけじゃない」
「同じ構造」ノアが指摘した。「言語化できないものが、存在しないわけじゃない」
二人はしばらく黙った。
蓮が聞いた。「じゃあ、言語化できない思考をどうすればいい?」
「無理に言語化しない」ノアが答えた。「他の表現手段を使う」
「音楽、絵画、踊り」
「そう。または、言語化を諦めて、ただ感じる」
蓮が反論した。「でも、試験では言語化が必要だ」
ノアが笑った。「そうだね。じゃあ、近似する」
「近似?」
「完璧には言語化できない。でも、近づくことはできる。複数の角度から、少しずつ」
蓮が理解した。「詩的言語の戦略だ」
「詩人は知ってる。言語の限界を。だから、比喩、リズム、沈黙を使う」
「沈黙も言語?」
「言語の一部」ノアが断言した。「休符が音楽の一部であるように」
蓮が感心した。「言語化できない思考を、言語化しようとする矛盾」
「矛盾を抱えながら、試み続ける。それが人間」
ノアがノートに何か書いた。蓮が覗こうとしたが、ノアは隠した。
「何を書いた?」
「言葉にできないこと」ノアが微笑んだ。
蓮が笑った。「矛盾してる」
「矛盾してる。でも、試してる」
二人は笑い合った。言語化できない思考がある。でも、言語化しようとする試みには価値がある。その試みの中で、思考は少しずつ形になっていく。