「細胞の中って、どうなってるの?」
奏が顕微鏡を覗きながら聞いた。
ミリアが静かに答えた。「混雑している」
「混雑?」
怜が補足した。「細胞質は、水だけじゃない。タンパク質、RNA、代謝産物。濃度は非常に高い」
「どれくらい?」
「タンパク質濃度は、200-300 mg/mL。かなり粘稠だ」
奏が驚いた。「でも、反応は起きるんですよね」
「そう。分子は、常に動いている」ミリアが説明した。
「どうやって?」
「拡散」怜が答えた。「ランダムな熱運動で、濃度勾配に従って移動する」
「濃度勾配?」
「濃度が高い場所から低い場所へ。エネルギーを使わない受動輸送だ」
ミリアが図を描いた。分子がランダムに動いている。でも、全体としては一方向に流れる。
「でも、混雑してるのに、どうやって移動できるの?」奏が疑問を持った。
「ブラウン運動」怜が説明した。「分子同士の衝突で、進路を変えながら進む」
「効率悪そう」
「確かに。拡散は遅い。特に大きな分子は」
ミリアが付け加えた。「だから、細胞は小さい」
「小さい方がいいの?」
「拡散距離が短くなる。時間は、距離の二乗に比例する」
怜が計算した。「10倍大きい細胞では、拡散に100倍時間がかかる」
「だから細胞は、ある程度以上大きくならない」奏が理解した。
「まさに。拡散の制約が、細胞サイズを決めている」
ミリアが新しい図を描いた。細胞膜を越える分子。
「でも、濃度勾配に逆らって運ぶこともある」怜が続けた。
「どうやって?」
「能動輸送。ATPのエネルギーを使う」
「具体例は?」奏が聞く。
「ナトリウム・カリウムポンプ」ミリアが答えた。
「これは、細胞内のK⁺を高く、Na⁺を低く保つ」怜が説明した。
「自然に拡散する方向と逆」
「そう。だからエネルギーが必要」
奏がメモした。「受動輸送=坂を下る、能動輸送=坂を上る」
「良い例え」怜が認めた。
ミリアが付け加えた。「細胞質は、動的な環境」
「動的?」
「常に変化している。代謝産物が生成され、消費される」
怜が続けた。「定常状態を維持するために、輸送が重要」
「定常状態って、平衡とは違う?」奏が確認した。
「違う。定常状態は、流れがあっても濃度が一定。平衡は、流れがない」
「難しい...」
ミリアが例を示した。「浴槽に水を入れながら、栓を抜く。水位が一定なら、定常状態」
「でも、水は流れている」奏が理解した。
「生きている細胞は、定常状態にある」怜が強調した。
「細胞質の流れも、一種の定常状態」ミリアが確認した。
奏がふと思った。「じゃあ、細胞骨格は?」
「細胞質の構造を支える」怜が答えた。「アクチンフィラメント、微小管、中間径フィラメント」
「これらが、細胞の形を決める」ミリアが補足した。
「でも、流れを妨げない?」
「逆に、流れを方向づける」怜が説明した。「分子モーターが、細胞骨格に沿って物質を輸送する」
「分子モーター?」
「キネシン、ダイニン、ミオシン。ATPを使って移動するタンパク質」
奏が感心した。「細胞の中って、すごく組織化されてるんだ」
「混雑しているけど、秩序がある」ミリアが確認した。
怜が最後に言った。「細胞質の穏やかな流れ。それが、生命の基盤」
「見えないけど、確実に存在する」奏が呟いた。
ミリアが微笑んだ。「顕微鏡では見えない。でも、理解できる」
窓の外で、川が流れている。細胞質の流れも、それに似ている。穏やかだけど、絶え間ない。生命を支える、目に見えない川。
「次は、酸化還元について話そう」怜が提案した。
奏とミリアは頷いた。細胞質の旅は、まだ続く。