「陸、今日は静かだね」
由紀が言った。いつも賑やかな陸が、珍しく黙っている。
「調子悪いの?」
「いや...考え事」
葵が興味深そうに見た。「陸の沈黙は、高い情報量を持つ」
「情報量?」由紀が聞き返した。
「情報量は、驚きに比例する。I(x) = -log₂(p)」
「陸がいつも喋るから、確率p(喋る)が高い。だから、p(黙る)は低い」
由紀が理解した。「確率が低いから、情報量が高い?」
「そう。陸が黙るという事象は、滅多に起こらない。だから、起こったときの情報量は大きい」
陸が苦笑した。「俺の沈黙、そんなに珍しい?」
「統計的には、かなり稀だ」
由紀が考えた。「じゃあ、葵先輩が喋らないのは情報量が低い?」
「私は元々寡黙だからね。p(黙る)が高いから、黙っても情報量は小さい」
「面白いですね。同じ沈黙でも、人によって情報量が違う」
葵が続けた。「情報理論では、予測できないことほど情報を持つ」
「予測可能性と情報量は反比例する」
陸が質問した。「じゃあ、完全に予測できることの情報量は?」
「ゼロだ。確率が1なら、log(1) = 0」
「確実なことには、情報がない」
由紀がノートに書いた。「だから、ニュースは予測外のことを伝える」
「正解。日常的な出来事は、情報量が低いからニュースにならない」
「太陽が東から昇った、というニュースはない」葵が例を出した。
「でも、西から昇ったら大ニュース」陸が続けた。
「情報量は、文脈に依存する」
由紀が考えた。「沈黙にも、文脈があるんですね」
「そう。いつも静かな人が黙るのと、いつも喋る人が黙るのは、意味が違う」
陸が真面目な顔をした。「じゃあ、俺の沈黙は、何かを伝えてる?」
「伝えているかもしれない。情報は、存在だけでなく、不在からも生まれる」
「不在?」
「期待されていたのに現れないもの。それ自体が情報だ」
葵が補足した。「通信理論では、信号がないことも信号として扱われる」
「ゼロという値も、データだ」
由紀が例を思いついた。「返信がこないメッセージとか?」
「まさに。返信がないという事実が、情報を伝えている」
陸が頷いた。「怒ってるとか、忙しいとか」
「そう。文脈から解釈する」
葵が新しい視点を出した。「音楽でも、休符は重要だ」
「休符?」
「音がない部分。でも、それがリズムを作る」
「沈黙が、音楽を構成する」
由紀が感動した。「情報も同じですね。ゼロが意味を持つ」
「情報理論では、エントロピーは全ての事象を考慮する。起こることも、起こらないことも」
「H(X) = -Σ p(x) log p(x)。確率が低い事象も、エントロピーに寄与する」
陸がふと笑った。「なんか、責任重大だな。俺の沈黙」
「でも、それだけ君の存在が大きいってことだよ」由紀が言った。
「いつもの行動が予測可能だから、逸脱が情報になる」
葵が付け加えた。「だから、キャラクターが確立している人ほど、変化が目立つ」
「ブランディングみたいなものか」陸が理解した。
「人間関係も、一種のプロトコルだからね」
由紀が質問した。「じゃあ、完全にランダムな人は?」
「毎回驚かされるから、平均情報量は高い。でも、予測不可能すぎて信頼しにくい」
「適度な予測可能性が、関係を安定させる」
陸が深く息をついた。「わかった。もう普通に喋る」
「情報量が下がるな」葵が笑った。
「それでいいんだよ」由紀が言った。「いつもの陸が、安心する」
「低情報量も、価値があるんだね」
葵が締めくくった。「情報量だけが全てじゃない。安定性、予測可能性も大切だ」
「バランスだね」
沈黙が終わり、いつもの賑やかさが戻った。
でも、その沈黙が持っていた情報量を、三人は忘れなかった。