「電気が流れてる?」
奏が神経細胞の図を見た。
ミリアが頷いた。「細胞膜の内外で、電位差がある」
「電池みたい?」
「そう。約-70 mVの電位差」
零が説明した。「イオンの濃度差が、電位を作る」
「イオンって、Na⁺とK⁺?」
「主にそれ。Cl⁻とCa²⁺も重要」
奏がノートに書いた。「なんで濃度が違うの?」
「イオンポンプが、能動的に運ぶから」ミリアが答えた。
「能動的?」
「ATPを使って、濃度勾配に逆らって運ぶ」
零が図を描いた。「Na⁺-K⁺ポンプ。Na⁺を外に、K⁺を中に」
「3対2の比率で運ぶ。だから、電位差が生まれる」
奏が興味を示した。「それで、どうなるの?」
「細胞の内側がマイナス、外側がプラス」
ミリアが続けた。「この状態を、静止電位と呼ぶ」
「静止?でも、イオンは動いてる?」
「動的平衡。ポンプが運び、チャネルが漏らす。全体として安定」
零が別の図を描いた。「イオンチャネル。膜を貫通するタンパク質」
「穴?」奏が聞いた。
「特定のイオンだけを通す。サイズと荷電で選別」
「どうやって?」
「チャネル内部の構造が、特定のイオンに合ってる」
ミリアが実験データを見せた。「K⁺チャネルは、Na⁺より小さいK⁺を選ぶ」
「小さい方を?なんで、大きいNa⁺は通らないの?」
「Na⁺は水分子に囲まれて、実質的に大きい。K⁺は水を脱いで通れる」
零が補足した。「脱水のエネルギーバリアを、チャネルが下げる」
奏が理解した。「選択的透過性」
「そう。これが、神経シグナルの基礎」
ミリアが説明を続けた。「刺激が来ると、Na⁺チャネルが開く」
「Na⁺が中に入る?」
「濃度勾配と電位勾配の両方が、内側に向いてるから」
零が動きを描いた。「急速に内側がプラスになる。脱分極」
「これが活動電位」
奏がメモを取った。「それで、どうなるの?」
「すぐにNa⁺チャネルが閉じて、K⁺チャネルが開く」
「K⁺が外に出る?」
「そう。再び内側がマイナスになる。再分極」
ミリアが続けた。「この電位変化が、隣の部分に伝わる」
「伝播?」
「活動電位が、神経線維に沿って伝わる。これが神経伝達」
零が整理した。「イオンの衝突が、情報を運ぶ」
奏が驚いた。「考えるのも、イオン?」
「脳内の全ての情報処理は、イオンの流れに基づく」
ミリアが付け加えた。「シナプスでは、Ca²⁺が重要」
「カルシウム?」
「神経伝達物質の放出を誘導する」
零が説明した。「活動電位が到達すると、Ca²⁺チャネルが開く」
「Ca²⁺が流入して、小胞が融合する」
「小胞?」奏が聞いた。
「神経伝達物質が入ってる袋。膜と融合して、中身を放出」
ミリアが図を描いた。「放出された伝達物質が、次の神経細胞の受容体に結合」
「また、イオンチャネルが開く?」
「そう。シグナルが次々と伝わる」
奏がノートを見直した。「全部、イオンの動き…」
「生命は、イオンのダンス」零が静かに言った。
ミリアが微笑んだ。「小さな衝突が、思考を作る」
奏が呟いた。「今、私の脳でも…」
「何十億ものイオンチャネルが、同時に開閉してる」
零が続けた。「あなたが考えるたび、イオンが流れる」
「すごい…」
ミリアが窓を開けた。「化学と電気の境界が、生命」
奏がノートを閉じた。「イオンたちの小さな衝突」
「それが、意識の源」零が言った。
三人は沈黙した。見えないイオンが、休まず流れ続ける。思考を運んで。