「苦しむのは嫌だ」
晴が素直に言った。
蓮が問い返す。「じゃあ、苦しみのない人生が理想?」
「当然でしょ」
サイモンが別の視点を示した。「でも、成長には苦しみが必要じゃない?」
晴が混乱した。「必要悪ってこと?」
「そうじゃない」蓮が言った。「仏教は苦を人生の本質と見る」
「本質?避けられないってこと?」
「そう。四諦の第一、苦諦だ。生きることは苦である」
晴が抵抗した。「でも、楽しいこともあるよ」
「一時的だ」蓮が冷静に言った。「すべては変化する。だから執着が苦を生む」
サイモンが補足した。「でも西洋では違う。エピクロスは快楽を善とした」
「じゃあ、苦しみは避けるべき?」
「単純じゃない」サイモンが言った。「エピクロスの快楽は、静的快楽だ」
「静的快楽?」
「欲望の不在。心の平穏」
晴が混乱した。「それって、仏教の涅槃に似てない?」
蓮が頷いた。「近い。東西で、似た結論に達してる」
「じゃあ、答えは同じ?」
「方法が違う」蓮が説明した。「仏教は苦の受容。西洋は苦の回避」
サイモンが続けた。「でも、ニーチェは別のことを言った」
「ニーチェ?」
「苦しみを肯定する。『生に対して然りと言え』と」
晴が驚いた。「苦しみを歓迎するの?」
「歓迎じゃなく、受け入れる」サイモンが言った。「苦しみを通じて、強くなる」
蓮が追加した。「実存主義も似てる。苦しみに意味を見出す」
「意味?」
「フランクルは『苦しみは、意味があれば耐えられる』と言った」
晴が考え込んだ。「じゃあ、苦しみ自体は悪じゃない?」
「文脈による」蓮が言った。「無意味な苦しみは避けるべきだ」
「でも、意味のある苦しみは?」
「成長の機会」サイモンが答えた。
晴が疑問を持った。「でも、どうやって意味を見出すの?」
「選択だ」蓮が言った。「同じ苦しみでも、解釈は選べる」
「解釈?」
「犠牲と見るか、投資と見るか」
サイモンが例を挙げた。「マラソンの苦しみ。無意味に見えるけど、達成感のための投資」
「なるほど…」
「でも」晴が正直に言った。「すべての苦しみに意味を見出せるわけじゃない」
蓮が認めた。「その通り。だから、仏教は苦の終息を説く」
「苦しみをなくす?」
「執着をなくす。苦しみの原因を取り除く」
サイモンが補足した。「西洋も同じ。ストア派は、コントロールできないものへの執着を手放す」
晴が窓の外を見た。雨が降っている。避けられない自然現象。
「苦しみも、雨みたいなもの?」
「良い比喩だ」蓮が言った。「避けられない。でも、傘は選べる」
「傘?」
「対処法。解釈。態度」
サイモンが付け加えた。「そして、雨の後には虹が出るかもしれない」
晴が笑った。「希望的観測すぎない?」
「でも、可能性は残す」サイモンが言った。「絶望より、希望の方が生産的」
蓮が締めくくった。「苦しみは避けるべきか?答えは『場合による』だ」
「曖昧だね」
「哲学は、明確な答えを出さない」蓮が微笑んだ。「考え続けることが答え」
晴が深呼吸した。「苦しみと向き合うのも、苦しいね」
「でも、避けるより健全だ」サイモンが言った。
三人は静かに考えた。苦しみという、人間的な経験について。