「先輩と後輩の関係って、対等じゃないよね」
蓮が言った。部室で、サイモンと二人きり。
「対等であるべきだと思う?」サイモンが問い返した。
「...分からない。でも、不平等は良くない気がする」
「興味深い前提だ」サイモンが微笑んだ。「なぜ対等が善だと?」
蓮が考えた。「カントは、人間を手段ではなく目的として扱えと言った」
「定言命法だね。でも、それは対等を意味する?」
「尊重という意味では」
サイモンが頷いた。「尊重と対等は違う。親と子は対等か?」
「...対等じゃない。でも、尊重はできる」
「そう。関係には、自然な非対称性がある」
蓮が反論した。「でも、非対称性は支配につながる」
「常にそうとは限らない」サイモンが反論した。「レヴィナスは言った。『他者は私より高い』」
「高い?」
「倫理的な意味で。他者の顔が、私に責任を課す」
蓮が混乱した。「でも、それは対等じゃない」
「対等より深い関係だ」サイモンが真剣に言った。「対等は、交換可能性を意味する」
「交換?」
「市場の論理。等価交換。でも、人間関係は等価交換じゃない」
蓮が理解し始めた。「与えるものと受け取るものが、同じじゃない?」
「そう。親は子に与える。見返りを期待せずに」
「でも、それは不平等では?」
「量的な不平等だ。でも、質的には対等かもしれない」
ノアが入ってきた。「何の話?」
「人間関係の対等性」蓮が答えた。
ノアが座った。「難しいテーマだね」
「ノアはどう思う?」サイモンが聞いた。
「関係には、いろいろな次元がある」
「次元?」
「権力の次元、感情の次元、倫理の次元」
蓮が興味を持った。「分けて考える?」
「権力的には、先輩と後輩は対等じゃない。でも、感情的には対等かもしれない」
サイモンが補足した。「フーコーは言った。『権力はあらゆる関係に遍在する』」
「全ての関係に?」
「そう。完全に対等な関係は存在しない。常に微細な権力の差異がある」
蓮が反発した。「じゃあ、平等は不可能?」
「形式的な平等は可能だ」ノアが言った。「法の前の平等、投票権の平等」
「でも、実質的には?」
「常に差異がある。知識、経験、体力、財産」
サイモンが続ける。「ロールズは『公正としての正義』を提唱した」
「公正?」
「完全な平等ではなく、不平等が最も不利な人を利益する場合のみ許される」
蓮が考えた。「先生と生徒の関係は?」
「先生の方が知識が多い。でも、その不平等は生徒の利益になる」
「だから許される?」
「ロールズ的にはそうだ」
ノアが別の視点を出した。「でも、対等を求める気持ちは大事」
「なぜ?」
「ブーバーは言った。『我と汝の関係』。相手を物ではなく、主体として見る」
「主体?」
「意志と感情を持つ存在。それが『汝』だ」
蓮が理解した。「モノ扱いしない」
「そう。それが尊重だ」サイモンが頷いた。「対等でなくても、尊重はできる」
「じゃあ、理想の関係は?」
ノアが答えた。「相互性だと思う」
「相互性?」
「与えるだけでも、受け取るだけでもない。双方向の流れ」
サイモンが例を出す。「先輩は知識を与える。後輩は新鮮な視点を与える」
「対等じゃないけど、相互的?」
「そう。異なるものを交換する」
蓮が納得した。「量じゃなくて、質」
「リクールは『相互承認』を説いた」ノアが続ける。「互いに相手を認める」
「認める?」
「存在と価値を。それが関係の基盤だ」
サイモンが静かに言った。「対等は目標じゃない。相互尊重が目標だ」
蓮が深呼吸した。「対等に固執しすぎてた」
「人間は本質的に異なる」ノアが微笑んだ。「その差異を認めて、尊重する」
「差異を肯定する?」
「そう。多様性が豊かさを生む」
蓮が窓を見た。「じゃあ、私とサイモン先輩の関係も」
「対等じゃない。でも、相互的だ」サイモンが言った。「君から学ぶことも多い」
「本当?」
「本当だ。質問が鋭い。思考を刺激される」
ノアが笑った。「それが良い関係だね」
蓮が微笑んだ。「対等じゃなくても、対話できる」
「それが人間関係の本質だ」サイモンが頷いた。
三人は静かに座っていた。
異なる立場、異なる経験、異なる視点。
でも、同じ空間で、同じテーマを考える。
それが、関係性の美しさかもしれない。