「明日の発表、やっぱり無理かも」
ミラが小さく呟いた。
「また?」陽和が心配そうに聞く。
「準備はしてるんだけど…どうしても、その場に立つイメージができない」
空はノートを閉じて、ミラを見た。「逃げたい、って思ってる?」
ミラは頷いた。「逃げたい。でも、逃げちゃいけないって分かってる」
「逃げることは、悪いこと?」空が静かに聞いた。
「えっ?」ミラが驚く。
「回避行動は、心理的防衛機制の一つだ。必ずしも悪くない」
陽和が補足した。「でも、ミラは苦しそうだよ」
「そう。問題は、逃げること自体じゃなくて、逃げた後の自己評価が下がることだ」
ミラが考え込んだ。「逃げた自分を、責めてしまう」
「それが回避のパラドックス。短期的には安心を得るけど、長期的には自己評価を下げる」
空はホワイトボードに図を描いた。
「恐怖→回避→一時的安心→自己評価低下→次の恐怖が強化される」
「悪循環…」ミラが呟く。
「でも」陽和が言った。「逃げることで、心を守ってるとも言える」
「その通り。回避は、心が壊れないための応急処置なんだ」
ミラが聞いた。「じゃあ、どうすればいい?」
「逃げる選択をした自分を、まず責めないこと」空が答えた。
「責めない?」
「回避は防衛。それを選んだ自分を認めること。その上で、次のステップを考える」
陽和が優しく言った。「小さな一歩でいいんだよ」
「小さな一歩?」
「発表全体じゃなくて、最初の一言だけ言う。それだけでも、回避じゃなくなる」
ミラが少し明るくなった。「最初の一言だけ…」
「段階的接近法って呼ばれる」空が説明した。「一度に全部じゃなくて、少しずつ恐怖に近づく」
「でも、失敗したら?」
「失敗は、データだ。次の挑戦の材料になる」
陽和が笑った。「空は、失敗を怖がらないよね」
「怖い。でも、失敗を『自分の価値』と結びつけない訓練をしてる」
ミラが聞いた。「どうやって?」
「失敗は、行動の結果。自分の価値とは別。これを繰り返し自分に言い聞かせる」
「認知の再構成」陽和が付け加えた。
「そう。思考のパターンを変える練習だ」
ミラはしばらく沈黙した。そして、小さく言った。
「明日、最初の一言だけ言ってみる」
「それで十分」空が言った。
「逃げたくなったら?」
「逃げてもいい。でも、その前に一言だけ。それが、あなたの挑戦だ」
陽和が温かく微笑んだ。「私たちも見てるからね」
ミラは少し安心した顔をした。「逃げることを選んでも、自分を責めない」
「そして、小さく挑戦する」空が頷いた。
「それが、回避から脱出する道なんだね」
三人は、明日への小さな希望を抱いて、部室を後にした。
逃げることは、時には必要だ。でも、その先に小さな一歩があれば、それは逃げではなく、戦略になる。