「確率って、予言じゃないんですね」
由紀が授業の復習をしながら呟いた。
「当然だ」葵が答えた。「確率は、長期的な傾向を示すだけ。個々の結果は予測できない」
陸が不満そうにした。「じゃあ、意味ないじゃん」
「そんなことない」葵が反論した。「期待値という概念がある」
由紀がノートを開いた。「期待値って、平均ですよね?」
「厳密には、確率で重み付けた平均。でも、もっと深い意味がある」
葵がサイコロを取り出した。
「サイコロを振る。1が出たら100円もらえて、それ以外は何もなし。このゲームに参加する価値は?」
陸が考えた。「1/6の確率で100円だから、期待値は約17円?」
「正解。だから、参加料が17円以下なら、長期的には得になる」
「でも、一回だけなら損するかもしれない」由紀が指摘した。
「そう。それが確率と期待値の違い。一回の結果は不確実だけど、何度も繰り返せば、期待値に近づく」
葵が続けた。「大数の法則。試行回数が増えるほど、平均が期待値に収束する」
陸がふと思いついた。「人生の選択も、期待値で考えればいいの?」
葵が慎重に答えた。「一つの視点ではね。でも、分散も考慮すべきだ」
「分散?」
「結果のばらつき。期待値が同じでも、リスクが違うことがある」
葵が二つの選択肢を書いた。
「A: 確実に50万円もらえる B: 50%の確率で100万円、50%の確率で0円」
「期待値は両方とも50万円。でも、Bはリスクが高い」
由紀が考え込んだ。「どっちを選ぶかは、性格による?」
「そう。リスク回避的な人はA、リスク中立的な人はどちらでも同じ、リスク愛好的な人はB」
陸が手を挙げた。「俺はBかな。ギャンブル好きだし」
「それが君の効用関数だ」葵が笑った。「金額だけじゃなく、主観的価値が重要」
由紀が尋ねた。「情報理論と関係ありますか?」
「深く関係する」葵が真剣になった。「エントロピーは、期待情報量。確率分布から計算される期待値だ」
「あ、つながった」
「そう。H(X) = E[-log P(X)]。期待値の枠組みで、情報量を測る」
陸が考え込んだ。「じゃあ、不確実性が高いほど、期待情報量も高い?」
「正確。一様分布が最大エントロピー。全ての結果が等しく不確実だから」
葵がホワイトボードに図を描いた。
「確率論は、不確実性を数学的に扱う枠組み。情報理論は、その上に構築されてる」
由紀がノートにまとめた。「確率は予言じゃなく、不確実性を定量化する道具」
「完璧」
陸が笑った。「人生も確率変数だな。結果は分からないけど、期待値は計算できる」
「哲学的だね」由紀が言った。
「でも、人生は一回きり」葵が静かに言った。「大数の法則は使えない。だから、期待値だけで決めるのは危険」
「じゃあ、どうすれば?」
「自分の価値観を知ること。何を大切にするか。それが効用関数だ」
陸が頷いた。「期待値も大事だけど、自分の気持ちも大事」
「そう。確率論は道具であって、答えじゃない」
由紀が微笑んだ。「確率の授業は、人生の縮図かもしれないですね」
「良い洞察だ」葵が認めた。
夕日が教室を照らした。確率と人生、不確実性と選択。それらが交差する瞬間だった。