「美緒は、寂しくないのかな」
晴が窓際で一人座る美緒を見ながら呟いた。
「寂しさと孤独は違う」サイモンが答えた。
「どう違うの?」
「寂しさは他者の不在を嘆く感情。孤独は、一人でいる状態。必ずしも否定的じゃない」
美緒がこちらを一瞬見て、また本に戻った。
「でも、人は社会的な生き物じゃない?」晴が聞く。
「社会的だからこそ、孤独が必要なのかもしれない」
「逆説的だね」
サイモンが説明した。「アリストテレスは『友情なしに生きられる者は、野獣か神だ』と言った」
「じゃあ、孤独は否定される?」
「でも、同じアリストテレスが、観想的生活の価値も説いた」
「観想的生活?」
「一人で思索すること。最高の幸福は、孤独な思考にあると」
晴が考え込んだ。「矛盾してない?」
「矛盾してる。でも、人間は両方を必要とする」
美緒が立ち上がり、二人の前に来た。そして、ノートを見せる。
「独りと孤独は違う」
晴が読んだ。「違う?」
美緒が頷き、また書いた。「独りは選択、孤独は状態」
サイモンが理解した。「自ら選んだ孤独と、強いられた孤独」
「美緒は選んでる?」晴が聞く。
美緒が頷いた。
「なぜ?」
美緒は少し考えてから書いた。「雑音が多すぎる」
「雑音?」
「他者の期待、社会の要求、自分でない声」
サイモンが静かに言った。「ハイデガーの『das Man』。世間という匿名の主体」
「世間に流される?」
「そう。自分の声が聞こえなくなる。だから、孤独が必要」
晴が理解し始めた。「孤独で、自分を取り戻す」
「本来的な自己との対話」サイモンが頷いた。
美緒がまた書いた。「孤独は贅沢」
「贅沢?」晴が驚く。
「現代社会では、常に繋がっている。一人になることが難しい」
サイモンが補足した。「スマートフォン、SNS。常に他者の視線がある」
「だから、孤独は意識的な選択になる」
美緒が微笑んだ。珍しいことだ。
晴が尋ねた。「でも、孤独すぎると危険じゃない?」
「危険もある」サイモンが認めた。「ニーチェは孤独の中で狂気に近づいた」
「バランス?」
「そう。孤独と繋がりのバランス」
美緒がまた書いた。「孤独は休息、繋がりは活動」
「リズム?」晴が理解した。
美緒が頷く。
「呼吸みたいに。吸って、吐いて」
サイモンが静かに言った。「禅の思想では、独坐が重視される」
「独坐?」
「一人で座ること。思考も手放して、ただ在る」
「何のために?」
「目的はない。ただ、存在すること自体を味わう」
晴が深呼吸した。「美緒は、それを実践してる」
「言葉にしないだけで、深い哲学を生きている」
美緒が立ち上がり、窓辺へ戻った。そして、空を見上げる。
「今、何を考えてるんだろう」晴が呟いた。
「考えてないかもしれない」サイモンが言った。
「考えてない?」
「ただ、在る。パスカルは言った。『人間の不幸は、部屋に静かに座っていられないことから来る』」
「動き続けることで、自分から逃げる?」
「そう。孤独が怖いから、忙しさで埋める」
晴が静かに言った。「美緒は、孤独を恐れてない」
「恐れるどころか、肯定している」
「肯定する哲学」
サイモンが整理した。「孤独は欠如ではなく、充実。空虚ではなく、豊かさ」
「でも、それは万人に当てはまる?」
「当てはまらない。人によって、必要な孤独の量は違う」
美緒が振り返り、小さく手を振った。そして、部屋を出ていく。
「行っちゃった」晴が寂しそうに言った。
「彼女には、彼女の時間が必要」サイモンが言った。
「拒絶されたわけじゃない?」
「違う。境界線を持っているだけ」
晴が考えた。「孤独を肯定することは、他者を拒絶することじゃない」
「その通り。むしろ、健全な関係のために必要」
「自分を満たしてから、他者と繋がる」
「そう。空っぽの自分では、本当の繋がりは作れない」
晴が窓辺に座った。「私も、少し孤独が必要かも」
「試してみるといい」サイモンが微笑んだ。
「怖くない?」
「最初は怖い。でも、慣れると心地いい」
「美緒みたいに?」
「それぞれの孤独の形がある。美緒の真似じゃなく、自分の孤独を見つける」
晴が静かに座った。サイモンも黙った。
部屋に静寂が降りた。孤独ではなく、共にいる静けさ。
「孤独を肯定する」晴が呟いた。「それは、自分を肯定すること」
サイモンが頷いた。「そして、他者の孤独も尊重すること」
二人は静かに座っていた。孤独と繋がりが、静かに共存していた。