「50個目です…」
瀬名が疲れた声で言った。最適化を始めて、三ヶ月。
「でも、まだ完璧じゃない」ミハイルが穏やかに言った。
明がデータを整理した。「活性は十分。選択性もクリア。でも、溶解性が低い」
「溶解性を上げると、活性が下がるんです」瀬名が訴えた。
リナがグラフを表示した。パレートフロンティア。活性と溶解性のトレードオフ。
「多目的最適化の典型例だ」
ミハイルが説明した。「全てを同時に満たすのは、ほぼ不可能。妥協点を探す」
「どこで妥協すればいいんですか?」
「臨床目標値による」明が答えた。「活性はどこまで必要? 溶解性はどこまで?」
リナがターゲット製品プロファイルを表示した。
「活性:IC50 < 10 nM 溶解性:> 100 μg/mL 透過性:Papp > 5×10⁻⁶ cm/s 代謝安定性:t1/2 > 60 min」
「これ、全部クリアしないとダメですか?」瀬名が絶望的に聞いた。
「理想はね。でも、一つだけ少し外れても、他が良ければ進める場合もある」ミハイルが現実的に答えた。
明が現在の最良候補を分析した。「化合物47。活性8 nM、溶解性85 μg/mL」
「溶解性が少し足りない」
「でも、製剤技術でカバーできるかもしれない」ミハイルが提案した。
「製剤?」
「塩形成、アモルファス化、共結晶。溶解性を上げる技術だ」
リナが計算した。「塩酸塩にすれば、溶解性は3倍になる可能性」
「それで十分?」
「試してみる価値はある」
瀬名が別のアプローチを考えた。「もっと親水性置換基を入れたら?」
「試した」明が過去のデータを示した。「化合物23、32、41。全て活性が大幅低下」
「なんで?」
「親水性基が、疎水性ポケットに入り込むから」明が説明した。「エネルギー的に不利」
「じゃあ、どこに入れれば?」
英治が加わった。「ポケットの外に出る部分。ここなら、溶媒に露出する」
構造の一部を指差した。
「ここに、ヒドロキシ基やアミノ基を入れる」
リナがモデリングした。「活性への影響は軽微」
「溶解性は?」
「計算上、2倍になる」
瀬名が希望を持った。「じゃあ、それで!」
「でも」明が慎重だった。「代謝されやすくなるかもしれない」
「ヒドロキシ基は、グルクロン酸抱合の標的だ」ミハイルが警告した。
「じゃあ、ダメじゃないですか」
「フッ素で保護する手もある」明が提案した。「ヒドロキシ基の隣にフッ素を置く。代謝されにくくなる」
リナがすぐに構造を生成した。「化合物51候補」
全員が画面を見つめた。
ミハイルが評価した。「活性、溶解性、代謝安定性。バランスが取れてる」
「透過性は?」瀬名が確認した。
リナが計算した。「PAMPA assayの予測値、6×10⁻⁶ cm/s。クリア」
「じゃあ、これが答え?」
「まだ分からない」明が現実的だった。「合成して、測定しないと」
「でも、一番の候補だ」ミハイルが励ました。
瀬名が構造を見つめた。「50個も作って、やっと一つ…」
「ドラッグデザインはそういうもの」ミハイルが優しく言った。「多くの失敗から、一つの成功を見つける」
明が補足した。「でも、50個全てが無駄じゃない。それぞれから学んだ」
リナがSARのまとめを表示した。
「ここが活性に必須。ここは代謝サイト。ここは溶解性に影響」
「知識が蓄積されてる」
瀬名が理解した。「51個目は、前の50個の上に成り立ってるんですね」
「正確」ミハイルが頷いた。「最適化は、学習プロセスだ」
明が次のステップを提案した。「化合物51を合成しよう。同時に、もう数個、類似体も作る」
「保険?」
「そう。51が期待外れでも、次の候補がある」
リナが合成ルートを検索した。「4ステップで合成可能」
「じゃあ、来週には結果が出る」
瀬名が決意した。「やります」
ミハイルが最後に言った。「最適化の果ては、まだ見えない。でも、一つずつ進んでいる」
明が付け加えた。「完璧な分子はない。でも、目的に最適な分子はある」
「それを見つけるのが、私たちの仕事」
四人は、化合物51の構造を見つめた。最適化の果てに見つけた、一つの分子。まだ確証はない。でも、希望はある。
「合成、頑張ります」瀬名が笑った。
「データが楽しみだ」リナが微笑んだ。
最適化の旅は、まだ続く。でも、ゴールは少し、近づいた気がした。