「糖って、エネルギー源だけ?」
奏が糖分子の模型を見つめた。
ミリアが微笑んだ。「それは一面。もっと深い役割がある」
「深い?」
零が説明した。「糖鎖。複数の糖が鎖状につながった構造」
奏が質問した。「タンパク質や核酸みたいに、情報を持つの?」
「そう。でも、もっと複雑な情報」
ミリアが図を描いた。「核酸は線形。四文字のアルファベット」
「DNAのA、T、G、C?」
「そう。でも、糖鎖は枝分かれする」
零が続けた。「単糖の種類も多い。グルコース、ガラクトース、マンノース…」
「たくさんあるんだ」
「さらに、結合の仕方も複雑。αかβか、どの炭素で結合するか」
ミリアがアニメーションを見せた。「同じ単糖でも、組み合わせ方で全く違う構造」
奏が驚いた。「組み合わせ爆発?」
「まさに。糖鎖の多様性は、核酸やタンパク質を超える」
零が具体例を挙げた。「血液型。A、B、O型は糖鎖の違い」
「糖の違い?」奏が驚いた。
「赤血球表面の糖鎖。末端の糖が一つ違うだけ」
ミリアが説明した。「A型はN-アセチルガラクトサミン、B型はガラクトース」
「たったそれだけで?」
「免疫系は、その微妙な差を認識する。他人と自己を区別する」
奏が考えた。「じゃあ、糖鎖は識別コード?」
「正確」零が認めた。「細胞の表面は、糖鎖で覆われてる」
ミリアが続けた。「グリコカリックスと呼ばれる。糖衣」
「何のため?」
「細胞同士の認識。どの細胞か、どこの組織か、健康か病気か」
零が付け加えた。「レクチンというタンパク質が、糖鎖を読む」
「読む?」
「特定の糖鎖構造に結合する。鍵と鍵穴みたいなもの」
奏が質問した。「病気と関係あるの?」
「がん細胞は、糖鎖パターンが変わる」ミリアが答えた。
「どう変わる?」
「異常な糖鎖を発現する。免疫系から逃れたり、転移を促進したり」
零が説明した。「だから、糖鎖はバイオマーカーになる。病気の診断に使える」
奏が感心した。「糖鎖は言葉なんだ」
「糖鎖コード」ミリアが専門用語を使った。「細胞が語る、糖の言語」
零が続けた。「でも、その言語は複雑。まだ完全には解読されてない」
「解読?」
「どの糖鎖が何を意味するか。膨大なパターンを理解する」
奏がノートに書いた。「グリコミクス?」
「そう。糖鎖の網羅的解析。ゲノミクス、プロテオミクスに続く分野」
ミリアが静かに言った。「糖鎖は物語を紡ぐ。細胞の歴史、状態、運命」
零が頷いた。「タンパク質のグリコシル化。糖鎖が付加されることで、機能が変わる」
「どう変わる?」
「安定性、局在、相互作用。糖鎖は翻訳後修飾の一種」
奏が質問した。「どこで糖鎖が付けられるの?」
「小胞体とゴルジ体」ミリアが答えた。「段階的に糖が付加される」
零が図を描いた。「N型とO型。結合する場所が違う」
「複雑すぎる…」
「でも、その複雑さが生命の多様性を生む」ミリアが言った。
奏が模型を見つめた。「糖鎖は、見えない物語」
零が静かに言った。「細胞が紡ぐ、甘い暗号」
ミリアが微笑んだ。「そして、私たちはその物語を読み解こうとしてる」
三人は沈黙した。糖の鎖が、生命の物語を綴る。