「脂肪って、悪者?」
奏が栄養学の本を見ながら聞いた。
ミリアが首を振った。「誤解されてる。実は優秀なエネルギー貯蔵庫」
「貯蔵庫?」
零が計算した。「グルコースは4 kcal/g。脂肪は9 kcal/g」
「倍以上!」奏が驚いた。
「だから長期エネルギー源として最適」ミリアが説明した。
奏が脂肪酸の構造式を見た。「長い…」
「炭素が12個から20個以上連なってる」零が指摘した。
「この長い鎖に、エネルギーが詰まってる」
ミリアが補足した。「C-H結合。これが多いほど、エネルギーが高い」
「脂肪酸には、飽和と不飽和がある」零が図を描いた。
「飽和?」
「すべての結合が単結合。水素で飽和されてる」
奏がノートに書いた。「不飽和は?」
「二重結合がある。C=C」
ミリアが模型を見せた。「この二重結合が、鎖を曲げる」
「曲げる?」
「二重結合の周りは回転できない。だから『く』の字に曲がる」
零が説明した。「飽和脂肪酸は直線的。だからきっちり並べる」
「それでバターは固体?」奏が理解した。
「正確。不飽和脂肪酸は曲がってるから、隙間ができる。液体になりやすい」
ミリアが次のテーマに移った。「脂肪酸の分解、ベータ酸化」
「ベータ?」
「炭素の位置の名前。カルボキシル基から二番目の炭素で酸化が起きる」
零が図を描いた。「二炭素ずつ切り取られる」
「パルミチン酸なら、16炭素。8回切られる」
奏が想像した。「サラミを切るみたい」
「良い比喩」ミリアが笑った。「各サイクルで、アセチルCoAが一つできる」
「それが?」
「クエン酸回路に入る。さっき習ったやつ」
零が計算した。「パルミチン酸一つから、理論上129個のATP」
「129!」奏が驚いた。「グルコースより多い」
「だから、マラソン選手は脂肪を燃やす」
ミリアが付け加えた。「でも、酸素が必要。無酸素運動では使えない」
「なんで?」
「ベータ酸化も、電子伝達系も、酸素が必須」
零が説明した。「短距離走ではグルコース。長距離では脂肪」
奏が質問した。「脂肪酸の揺れって、何?」
ミリアが幻想的に語った。「不飽和脂肪酸の二重結合。そこで鎖が揺れ動く」
「膜の中で、脂肪酸の尾が常に動いてる。流動性を作る」
零が補足した。「細胞膜はリン脂質の二重層。脂肪酸部分が揺れる」
「温度が低いと?」
「飽和脂肪酸が多いと、固まりやすい。だから、不飽和脂肪酸を混ぜる」
奏が理解した。「バランスが大事」
「そう。膜は固すぎても柔らかすぎてもダメ」
ミリアが続けた。「魚の油に不飽和脂肪酸が多いのは、冷たい水で膜を柔らかく保つため」
「適応?」
「そう。環境に合わせて、脂肪酸組成を変える」
零が整理した。「脂肪酸は、エネルギー源であり、膜の構成要素であり、シグナル分子でもある」
「シグナル?」
「プロスタグランジンなど。炎症や痛みに関わる」
奏がつぶやいた。「脂肪って、複雑」
「悪者どころか、生命に不可欠」ミリアが静かに言った。
「ただし、バランス。過剰摂取は問題」
零が認めた。「何でもそうだ。適量が重要」
奏が脂肪酸の図を見つめた。長い鎖が、静かに揺れている気がした。
「夜、細胞の中で、脂肪酸が踊ってる」
ミリアが微笑んだ。「詩的だけど、科学的にも正しい」
「分子の熱運動。それが揺れの正体」
三人は、見えない分子のダンスを想像した。脂肪酸が揺れる、静かな夜。