「酵素だけじゃ、反応しない…」
透が困惑した顔で試験管を見つめた。
ミリアが近づいた。「補酵素を入れた?」
「補酵素?」
零が説明した。「酵素を助ける小分子。タンパク質だけでは、機能しない酵素も多い」
奏がノートを開いた。「助け役がいるんだ」
「そう。主役は酵素だけど、裏方がいないと舞台は成立しない」
ミリアが小瓶を取り出した。「これがNAD+。最も重要な補酵素の一つ」
「ナド?」透が聞き返した。
「ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド」零が正式名を言った。
「長い…」
「でも、役割は明確。電子を運ぶ」
奏が興味を持った。「電子を?」
零が図を描いた。「酸化還元反応で、基質から電子を受け取り、NADHになる」
「NADHに変わる?」
「そう。還元型。後で別の反応で、電子を渡してNAD+に戻る」
ミリアが付け加えた。「だから、NAD+とNADHは、細胞内を循環する。電子のシャトルバス」
透が理解した。「リサイクルされるんだ」
「まさに。少量のNAD+で、膨大な反応を媒介できる」
奏が質問した。「他にも補酵素はあるの?」
零が列挙した。「FAD、CoA、ビタミンB群の多く…」
「ビタミン?」
「そう。多くのビタミンは、補酵素の前駆体。だから不足すると、代謝が回らなくなる」
ミリアが真剣な表情で言った。「脚気はビタミンB1欠乏。チアミンピロリン酸という補酵素が作れなくなる」
「補酵素がないと、病気になる?」
「そう。糖代謝が阻害されて、神経障害が起きる」
透が考えた。「じゃあ、補酵素って地味だけど、超重要じゃん」
「完璧な理解だ」零が微笑んだ。
奏がホワイトボードに書いた。「補酵素以外にも、助け役は?」
「補因子」ミリアが答えた。「金属イオンなど」
「金属?」
零が説明した。「亜鉛、鉄、銅、マグネシウム…多くの酵素は、金属イオンを必要とする」
「なんで金属が必要なの?」透が聞いた。
「電子の授受、基質の活性化、構造の安定化」零が列挙した。
ミリアが例を出した。「ヘモグロビンは鉄を含む。鉄が酸素を結合する」
「なるほど」
「カタラーゼは鉄、スーパーオキシドジスムターゼは銅と亜鉛を使う」
奏が感心した。「生命って、周期表の多様な元素を使ってる」
「そう」零が頷いた。「炭素、水素、酸素、窒素だけじゃない。微量元素も不可欠」
透が試験管に補酵素を加えた。「これで、反応が進むはず」
液体が徐々に色を変え始めた。
「働いてる!」奏が喜んだ。
ミリアが静かに言った。「見えないけど、NAD+が電子を運んでる」
「名もなき英雄」透が呟いた。
零が補足した。「名もなきわけじゃない。ちゃんと名前がある。でも、スポットライトは酵素に当たる」
「脇役の美学」奏が微笑んだ。
ミリアが真剣に言った。「でも、脇役がいなければ、主役も輝けない。生化学は、協奏曲」
「みんなが重要」透が頷いた。
零が最後に付け加えた。「細胞内では、何千もの反応が同時進行してる。それぞれに、酵素と補酵素と補因子が協力してる」
「オーケストラだ」奏が言った。
「まさに。そして、指揮者は遺伝子」
ミリアが窓の外を見た。「生命の複雑さは、無数の協力から生まれる」
透が試験管を振った。「この中にも、見えない協力がある」
「いつもある」零が静かに言った。「生化学の影で、名もなき分子が働き続けている」
奏がノートを閉じた。「次は、どの補酵素を調べよう?」
四人は、次の実験に向かった。影の立役者たちを、もっと知るために。