「朝ごはん食べて、もう消化されてる?」
奏が不思議そうに腹を押さえた。
零が答えた。「アミラーゼ、ペプシン、リパーゼ...多くの酵素が働いてる」
「そんなに速いの?」
「酵素は触媒。反応を劇的に加速する」
透が聞いた。「どれくらい?」
「酵素によるが、10の6乗から10の17乗倍」
奏が驚いた。「億倍以上?」
「カタラーゼは10の7乗を超える。一秒間に百万分子以上の過酸化水素を分解する」
透がメモした。「触媒回転数、kcat」
「そう。一分子の酵素が、一秒間に変換できる基質分子の数」
零が続けた。「でも、速さだけじゃない。特異性も重要」
「特異性?」奏が聞く。
「特定の基質だけを認識する。鍵と鍵穴」
透が質問した。「なんで特定の分子だけ?」
「活性部位の形が、基質の形に相補的」
零が図を描いた。「フィッシャーの鍵と鍵穴モデル。でも、実際はもっと動的」
「動的?」
「誘導適合モデル。基質が結合すると、酵素の形が変わる」
奏が理解した。「基質に合わせて、活性部位が調整される?」
「そう。最適な配置になる」
透がノートを見た。「遷移状態安定化?」
「核心だ」零が強調した。「酵素は、遷移状態を優先的に安定化する」
「遷移状態って?」
「反応の途中、最もエネルギーが高い状態」
奏がメモした。「活性化エネルギーを下げる?」
「正確。遷移状態のエネルギーを下げることで、反応速度が上がる」
零が続けた。「活性部位のアミノ酸が、精密に配置されている」
透が聞いた。「どうやって?」
「水素結合、静電相互作用、共有結合...多様な相互作用を使う」
奏が質問した。「補酵素も関わる?」
「多くの酵素で必要。NAD+、FAD、コエンザイムA」
零が説明した。「タンパク質だけではできない化学反応を可能にする」
透がつぶやいた。「分子の協力」
「そう。酵素はオーケストラの指揮者」
奏が考えた。「でも、速すぎると困らない?」
「制御機構がある」零が答えた。「アロステリック制御、フィードバック阻害」
「アロステリック?」
「活性部位以外の場所に、調節分子が結合する」
透がメモした。「それで活性が変わる?」
「そう。構造変化を通じて、活性部位が影響を受ける」
零が続けた。「例えば、代謝経路の最終産物が、最初の酵素を阻害する」
「自己調節?」奏が理解した。
「フィードバック阻害。過剰生産を防ぐ」
透が質問した。「酵素がないと?」
「多くの反応は、体温では進まない。数百年かかるものもある」
奏が感動した。「それを数秒で」
「生命の速度は、酵素の速度」零が言った。
透がノートをまとめた。「特異性、効率、制御。三つが揃って機能する」
「そして、何万という酵素が協調して働く」
奏がつぶやいた。「朝食が消化される間に、分子の嵐」
零が微笑んだ。「見えない世界で、触媒反応が踊ってる」
三人は沈黙した。速すぎる朝、酵素の驚異を知る。