「なんで色が変わるの?」
奏がフェノールフタレインの溶液を見つめた。酸性では無色、塩基性ではピンク。
透真が答えた。「指示薬の機嫌が変わるから」
「機嫌?」
零が訂正した。「プロトン化状態が変わる。より正確には、分子構造が変化する」
奏が首をかしげた。「プロトン?」
「H⁺イオン。酸性溶液にはたくさんある」
透真が別の指示薬を取り出した。「BTBは黄色から青に変わる」
「こっちは緑になる瞬間がある」奏が指摘した。
「中性付近。黄色型と青色型が混在してる」零が説明した。
「混在?」
「平衡状態。両方の形が同時に存在する」
奏がノートに書いた。「じゃあ、色は何で決まるの?」
零が図を描いた。「共役系。二重結合が交互に並んだ構造」
「共役?」
「電子が非局在化する。分子全体に広がる」
透真が補足した。「で、その電子が光を吸収する」
「何色の光?」
「共役系の長さで決まる。長いほど、長波長の光を吸収」
奏が考えた。「じゃあ、構造が変わると、共役系も変わる?」
「正確」零が認めた。「プロトンが付いたり外れたりすると、共役系の長さが変化する」
透真が実演した。「酸を加えると…ほら、黄色になった」
「プロトンが付いた形」零が解説した。「共役系が短くなり、青い光を吸収。黄色に見える」
「逆は?」
「塩基を加えると、プロトンが外れる。共役系が長くなり、黄色い光を吸収。青く見える」
奏が感心した。「色は構造の証明なんだ」
「分光学の基本」零が言った。「吸収する光の波長から、構造を推測できる」
透真がpH計を持ってきた。「じゃあ、変色点のpHは?」
「指示薬の酸解離定数で決まる」零が答えた。
「酸解離定数?」
「pKa。プロトンを放出する強さを表す」
奏が質問した。「フェノールフタレインのpKaは?」
「約9.3。だから、アルカリ性で色が変わる」
透真が別の指示薬を試した。「メチルオレンジは酸性側で変わる」
「pKaが低いから。約3.7」
奏が整理した。「つまり、pKa付近で色が変わる?」
「正確にはpKa±1の範囲。ヘンダーソン・ハッセルバルヒの式から導ける」
零が式を書いた。「pH = pKa + log([A⁻]/[HA])」
「[A⁻]と[HA]が等しいとき、pH = pKa」透真が続けた。
「このとき、二つの形が1:1」
奏が不思議そうに聞いた。「なんで幅があるの?±1って」
「人間の目の限界。色の変化を認識できる濃度比が約10:1から1:10」
透真が実験した。「少しずつ塩基を加えていくと…段々ピンクが濃くなる」
「平衡が移動してる」零が解説した。「ルシャトリエの原理」
奏がまとめた。「指示薬は、pHという見えないものを、色という見えるものに変換する」
「良い表現」零が認めた。
透真が笑った。「指示薬の機嫌で、溶液の性質がわかる」
「機嫌というより、平衡状態」零が訂正したが、微笑んでいた。
奏が複数の指示薬を並べた。「色の虹ができた」
「ユニバーサル指示薬。複数の指示薬を混ぜて、広範囲のpHを検出」
透真が感心した。「化学って、カラフルだね」
零が静かに言った。「色は分子の声。構造と電子の物語を語る」
奏がノートに書いた。「酸塩基指示薬の機嫌—平衡が描く色彩」
三人は色とりどりの溶液を見つめた。目に見える色が、目に見えない化学を明かす。