「なんで昼ごはんの後、眠くなるの?」
透真が教室で欠伸をした。
ミリアが微笑んだ。「血糖値が上がって、インスリンが分泌されるから」
「インスリン?」
「血糖を下げるホルモン。細胞にグルコースを取り込ませる」
奏がノートを開いた。「グルコースって、エネルギー源?」
「そう。解糖系で分解される」零が答えた。
「解糖系?」
「グルコースをピルビン酸に変換する経路。10段階の酵素反応」
透真が驚いた。「10段階も?めんどくさい」
「効率的なんだ」ミリアが説明した。「少しずつエネルギーを取り出す」
零が図を描いた。「最初はATPを使う。投資段階」
「お金かかるの?」奏が質問した。
「エネルギーを使って、グルコースをリン酸化する。後で回収する」
「投資して、利益を得る」透真が理解した。
「でも」ミリアが続けた。「全部の経路が同時に動くわけじゃない」
「なんで?」
「調節されてるから。需要に応じて供給を変える」
零が補足した。「律速段階がある。一番遅い反応が全体の速度を決める」
「渋滞のボトルネック?」奏が比喩した。
「完璧な例だ」ミリアが認めた。「高速道路の料金所みたいに」
透真が興味を示した。「で、どこが渋滞するの?」
「解糖系ならホスホフルクトキナーゼ」零が答えた。
「長い名前」
「PFKと略す。この酵素が全体を制御してる」
奏がメモした。「どうやって?」
「アロステリック調節」ミリアが説明した。「活性部位とは別の場所に、調節分子が結合する」
「別の場所?」
「そう。ATPが多いと、PFKの活性が下がる」
透真が理解した。「エネルギーが十分なら、作る必要ない」
「まさに。負のフィードバックだ」
零が続けた。「逆に、AMPが多いと活性が上がる」
「AMP?」
「ATPが使われた後の分解産物。エネルギーが不足してるサイン」
奏がつぶやいた。「需要と供給のバランス」
「経済学と同じ」ミリアが笑った。
「クエン酸回路もある」零が次の図を描いた。「ピルビン酸がさらに分解される」
「また長い経路?」透真が疲れた顔をした。
「8段階。でもこちらも調節されてる」
「誰が調節してるの?」奏が聞いた。
「イソクエン酸デヒドロゲナーゼ」ミリアが答えた。「NADHが多いと、活性が下がる」
「NADH?」
「電子の運び屋。これが多いと、もう十分だというサイン」
零が電子伝達系の図を描いた。「最後にここでATPが大量に作られる」
「やっとゴール?」
「そう。でもここも渋滞する」
透真が笑った。「どこも渋滞だらけだな」
「酸素が不足すると、電子伝達が止まる」ミリアが説明した。
「運動すると息切れする理由?」奏が確認した。
「そう。細胞が酸素を求めてる」
零がまとめた。「代謝は高度に調節されたネットワークだ。無駄なく、効率的に」
「でも渋滞する」透真が指摘した。
「渋滞は悪いことじゃない」ミリアが言った。「制御の証拠」
「どういうこと?」
「全速力で走り続けたら、すぐ疲れる。ペース配分が大事」
奏が理解した。「代謝の渋滞は、生命の知恵なんだ」
「そう。エネルギーを節約し、必要な時に使う」
零が付け加えた。「がん細胞は、この調節が壊れてる。無制限に糖を消費する」
「だから代謝異常なんだ」
四人は窓の外を見た。校庭で生徒が走っている。その体内で、無数の代謝反応が調節されている。
「完璧な交通整理だ」透真がつぶやいた。
「生命の交響曲」ミリアが微笑んだ。
渋滞は、秩序の一部だった。