「葵先輩と一緒にいると、世界が違って見えます」
由紀が静かに言った。
葵は驚いて由紀を見た。「急にどうしたの?」
「いえ、ジョイント・エントロピーのことを考えてて」
「H(X,Y)?」
「はい。二つの変数を一緒に見た時のエントロピー」
葵がノートを開いた。「H(X,Y) ≤ H(X) + H(Y)」
「等号は、XとYが独立な時だけ」
「相関があると、不等号になる」由紀が続けた。
「そう。相関があると、合計エントロピーが減る」
「なぜですか?」
「片方を知ることで、もう片方の予測ができるから」
葵は例を出した。
「天気と気温。独立じゃない。晴れれば、暖かい可能性が高い」
「だから、両方を知っても、それぞれ個別に知るより情報量は少ない」
由紀が理解した。「重複があるんですね」
「まさに。その重複が、相互情報量I(X;Y)だ」
「I(X;Y) = H(X) + H(Y) - H(X,Y)」
葵は図を描いた。二つの円が重なるベン図。
「重なり部分が、共有する情報」
由紀が窓の外を見た。
「先輩と私も、相関があるんでしょうか」
葵が少し赤くなった。「どういう意味?」
「一緒にいる時間が長いと、考え方が似てくる」
「それは相関が増えてるってことだね」
「H(由紀,葵) < H(由紀) + H(葵)」
葵が笑った。「数式で表現するんだ」
「でも、それって良いことですか?」由紀が心配そうに聞いた。
「どういうこと?」
「相関が強すぎると、個性が失われる気がして」
葵が真剣に考えた。
「鋭い指摘だ。H(X|Y) = H(X,Y) - H(Y)」
「条件付きエントロピー。Yを知った後のXの不確実性」
「相関が完璧だと、H(X|Y) = 0」
「片方を知れば、もう片方も完全に分かる」
由紀が不安そうに言った。「それって、もう一人はいらない、ってこと?」
「いや、違う」葵が優しく言った。
「完全な相関は、理論上の極限だ。現実には、常に独立な部分が残る」
「独立な部分?」
「君は君の経験があり、私は私の経験がある」
「完全に同じになることは、ありえない」
由紀が少し安心した。「じゃあ、適度な相関が理想?」
「そう思う。I(X;Y)が高すぎず、低すぎず」
「お互いを理解できるけど、独立性も保つ」
葵がまとめた。「ジョイント・エントロピーが示すのは、二人で見る世界は単純な和じゃない、ということ」
「相互作用がある」
「そう。お互いが影響し合う」
由紀がノートに書いた。「H(X,Y) < H(X) + H(Y)。一緒にいることで、不確実性が減る」
「でも、ゼロにはならない」
「そこが美しい」葵が言った。
「完全に予測可能なら、一緒にいる意味がない」
「驚きがあるから、面白い」
由紀が微笑んだ。「先輩は、いつも驚きをくれます」
「君もだよ」
二人は静かに座っていた。
「ジョイント・エントロピー」由紀が呟いた。「共有する未来の数学」
「未来も、相関してるかもね」葵が言った。
「一緒にいると、未来の選択肢が変わる」
「H(未来_由紀, 未来_葵)」
「それは、まだ未定義だ」葵が笑った。
「でも、測定できる日が来るかもしれない」
由紀が頷いた。「その時まで、一緒に学び続けたいです」
「ジョイント・エントロピーを最適化しながら」
「適度な相関と、適度な独立性」
夕日が部室を照らした。
二人の未来は、まだ高エントロピーだ。でも、少しずつ相関が増えていく。
それが、関係を育むということかもしれない。
今日も、彼らのジョイント・エントロピーは、新しい値を記録した。