「嘘も方便、って正しいの?」
晴の問いに、蓮が答えた。「カント倫理学では、絶対に否定される」
「どうして?」
「カントは、義務論。行為の結果ではなく、動機を重視する」
野亜が加わった。「でも、善意の嘘もあります」
「まさにそこが問題だ」蓮が認めた。
晴が例を出した。「重病の人に、『大丈夫』って嘘をつくとか」
「功利主義なら許される」野亜が言った。
「功利主義?」
蓮が説明した。「最大多数の最大幸福。結果が良ければ、行為は正しい」
「じゃあ、善意の嘘はOK?」
「結果的に幸福を増やすなら」
野亜が反論した。「でも、カントは?」
「カントは、人間を手段として扱うことを禁じた」
「嘘は、相手を操作してる?」晴が理解した。
「そう。相手の自律性を尊重していない」
野亜が質問した。「でも、誠実に真実を言って、傷つけるのは?」
「難しい問題だ」蓮が認めた。「誠実さと思いやりが対立する」
「どっちが大事?」
蓮が慎重に答えた。「状況による、という答えは陳腐だが」
野亜が別の角度から聞いた。「誠実さって、何に対して?」
「良い問い」蓮が興味を持った。
「自分に対して?他者に対して?真理に対して?」
晴が驚いた。「三つある」
野亜が整理した。「自己への誠実さは、自分の価値観に従うこと」
「他者への誠実さは、正直であること」
「真理への誠実さは、現実を歪めないこと」
蓮が頷いた。「三つは時に対立する」
「例えば?」晴が聞く。
「自分の価値観では正しくても、他者を傷つける真実がある」
野亜が考えた。「じゃあ、優先順位は?」
「倫理理論によって違う」
蓮がノートに書いた。「カント:普遍的法則に従う」
「功利主義:幸福を最大化」
「徳倫理学:徳を持つ人の行動を真似る」
晴が混乱した。「答えがバラバラ」
「倫理は複雑だ」蓮が認めた。「一つの理論で全てをカバーできない」
野亜が質問した。「誠実さの意図と、誠実に見える行動は違う?」
「違う。偽善という概念がある」
「正しい行動をするけど、間違った動機」
蓮が説明した。「カントは、それを道徳的価値がないと見た」
「厳しい」晴が言った。
「でも、論理的には一貫している」
野亜が別の例を出した。「逆に、良い意図で間違った行動をしたら?」
「それも問題」蓮が答えた。「結果主義では悪、義務論では評価が分かれる」
「複雑すぎる」晴が笑った。
野亜が静かに言った。「でも、実践的には、両方必要では?」
「両方?」
「正しい意図と、正しい行動」
蓮が考えた。「理想的にはね。でも、現実には対立する」
「対立したとき、どうする?」
「その判断が、道徳的成熟度を示す」
晴が質問した。「誠実さって、頑固になることじゃないよね?」
「鋭い」蓮が認めた。「誠実さと柔軟性のバランスが重要」
野亜が補足した。「原理原則を守りつつ、状況に応じる」
「でも、妥協しすぎると、誠実じゃなくなる」
「そのバランスが難しい」
蓮が別の視点を提示した。「アリストテレスの中庸という概念がある」
「中庸?」
「極端を避ける。臆病でもなく無謀でもなく、勇気」
晴が理解した。「誠実さも、中庸?」
「正直すぎて無神経でもなく、配慮しすぎて不誠実でもなく」
野亜が微笑んだ。「難しいバランス」
「だから、徳は実践で身につける」蓮が言った。
「練習が必要?」
「そう。倫理的判断力は、経験で磨かれる」
晴が窓を見た。「誠実さに、正解はない?」
「状況によって違う。でも、原則はある」
野亜が質問した。「その原則は?」
蓮が慎重に答えた。「他者を尊重し、自分に正直で、現実を歪めない」
「三つのバランス」
「そう。簡単じゃないけど」
晴が立ち上がった。「誠実さは、行動と意図の両方」
野亜が頷いた。「そして、状況への配慮」
蓮が結んだ。「完璧な誠実さは不可能かもしれない。でも、目指す価値はある」
三人は歩き出した。誠実であろうとすること、それ自体が誠実さの一部だ。