「戦いは、常に悪なのか」
サイモンが問うた。部室で、三人きり。
「悪だと思う」蓮が即答した。「暴力は避けるべきだ」
美緒が静かに本を閉じた。聞いている。
「では、正義のための戦いは?」サイモンが続けた。
「正義?」蓮が疑った。「誰の正義?」
「鋭い。双方が正義を主張する」
「だから戦いは不毛だ」
サイモンが反論した。「アクィナスは『正戦論』を説いた」
「正戦?」
「正当な理由、正当な権威、正当な手段。これらを満たせば、戦いは許される」
蓮が首を振った。「でも、誰が判断する?何が正当か」
「難しい問題だ」サイモンが認めた。「だからこそ、議論が続く」
美緒が口を開いた。「...自衛は?」
二人が驚いた。美緒が話すのは珍しい。
「自衛のための戦い?」蓮が聞き返した。
美緒が小さく頷いた。
「それは正当だと思う」サイモンが答えた。「カントも、国家の自衛権は認めた」
「でも」蓮が反論した。「自衛の名目で、侵略が正当化される」
「そのリスクはある」
「じゃあ、どう線を引く?」
サイモンが考えた。「比例性の原則。必要最小限の力のみ」
「誰が測る?」
「国際法、世論、良心」
蓮が笑った。「曖昧だ」
「倫理は曖昧だ」サイモンが真剣に言った。「数学的に決められない」
美緒が再び話した。「...言葉で戦う?」
「言葉の戦い?」蓮が理解した。「議論、討論」
「それも戦いだ」サイモンが頷いた。「アゴーンという」
「アゴーン?」
「古代ギリシャの概念。競争、闘争。でも、暴力ではなく、言葉や技術で」
蓮が興味を持った。「建設的な戦い?」
「そう。ヘーゲルは『弁証法』を提唱した。テーゼとアンチテーゼの対立から、ジンテーゼが生まれる」
「対立が、進歩を生む?」
「ある意味では。議論なくして、真理は深まらない」
蓮が考えた。「じゃあ、対立自体は悪じゃない?」
「形による」サイモンが答えた。「暴力的対立は悪。知的対立は善」
「明確に分けられる?」
「いや、グレーゾーンがある」
美緒が静かに言った。「...心の戦い」
二人が注目した。
「自分との戦い?」蓮が聞いた。
美緒が頷いた。
サイモンが微笑んだ。「それが最も重要な戦いかもしれない」
「内面の葛藤」蓮が理解した。
「仏教では、煩悩との戦い。ストア派では、欲望との戦い」
「自己制御?」
「そう。ニーチェは『自己克服』を説いた」
蓮が反論した。「でも、それは戦いと呼ぶべき?努力じゃない?」
「言葉の問題だ」サイモンが認めた。「でも、対立の構造がある。現在の自分と、理想の自分の」
「内なる対立」
美緒が本を開いた。ページを指す。
サイモンが読んだ。「『最大の敵は自分自身である』」
「誰の言葉?」蓮が聞いた。
「シセロ」
蓮が深呼吸した。「じゃあ、戦いは必然?」
「人間には、対立が内在する」サイモンが答えた。「理性と感情、欲望と良心」
「それを調和させるのが、人生?」
「フロイトならそう言う。超自我とイドの戦い」
美緒が静かに言った。「...戦わない選択」
「戦わない?」
「逃げるのではなく、受け入れる」
サイモンが感心した。「老子の『無為』だ」
「無為?」
「何もしないのではない。自然に従う。争わない」
蓮が考えた。「でも、不正に対しては?」
「それは難しい」サイモンが認めた。「完全な非抵抗は、悪を許すことになる」
「じゃあ、どうする?」
美緒が答えた。「...必要なとき、だけ」
「最小限の抵抗?」蓮が理解した。
「そう。マルティン・ルーサー・キングも、非暴力抵抗を説いた」
「抵抗するけど、暴力は使わない」
「道徳的な力で戦う」
蓮がまとめた。「戦いは、形と目的による」
「暴力的で利己的なら悪。非暴力で正義のためなら、許される場合もある」
美緒が小さく微笑んだ。同意のサイン。
サイモンが窓を見た。「完全な平和は、理想だ。でも、現実には対立がある」
「だから、どう戦うかが大事」蓮が言った。
「建設的に。最小限の害で。正当な目的のために」
美緒が立ち上がった。ドアへ向かう。
振り返り、一言。
「...対話も、戦い」
去っていった。
二人は顔を見合わせた。
「深いな」蓮がつぶやいた。
「対話は、最も平和的な戦いだ」サイモンが微笑んだ。「でも、戦いであることに変わりはない」
「意見の対立、理解への闘争」
「そう。でも、そこから真理が生まれる」
二人は静かに座っていた。
戦いは、人間の条件かもしれない。
でも、どう戦うかは、選べる。
それが、人間の尊厳だ。