夕暮れ時、部室の窓から見える空が、複雑な色に染まっていた。
「きれい…」由紀が呟いた。
「この色、情報量が多いと思わない?」葵が静かに言った。
「情報量?」
「青い空より、夕焼けの方が、色の種類が多い。オレンジ、ピンク、紫、青。多様性が高い」
ミラがノートに色の分布を描いた。
「予測しにくい」葵が続けた。「毎日の夕焼けは違う。雲の形、湿度、空気の状態で変わる。それが高い情報量を生む」
由紀が考えた。「予測しにくいと、情報量が多い?」
「そう。情報理論では、珍しい事象ほど、情報量が高い。自己情報量I(x) = -log P(x)」
「昨日勉強した式ですね」
「青空は確率が高い。だから情報量は低い。でも、虹とか、オーロラとか、珍しい現象は情報量が高い」
ミラが書き加えた。「Rare = High information」
「例えば」葵が説明を続ける。「毎朝、太陽が東から昇る。これは確率1に近い。だから、『今日も太陽が昇った』というニュースは、情報量ゼロに近い」
「当たり前すぎて、驚きがない」由紀が理解した。
「でも、『今日、太陽が西から昇った』なら、情報量は無限大に近い。あり得ない事象だから」
ミラが微笑んだ。珍しい反応だった。
由紀がふと思った。「じゃあ、人との会話も、予測可能なことより、意外なことの方が情報量が高い?」
「まさに。『今日は良い天気だね』は情報量が低い。でも、『実は私、情報理論に興味があったんだ』は、意外性があれば情報量が高い」
「だから、会話で大事なのは、相手が予測できないことを伝えること?」
葵が考えた。「一概には言えない。予測可能な会話も、関係を維持するために必要。挨拶とか、日常的な確認とか」
ミラが補足を書いた。「Context matters. Not only surprise.」
「そう。文脈が重要。常に驚きを求めると、疲れる。でも、適度な新情報が、会話を豊かにする」
窓の外の空が、さらに複雑な色に変わった。
「この夕焼け、同じ色の組み合わせは二度と見られないかもしれない」由紀が言った。
「その通り。だから今、この瞬間の情報量は高い。希少性が価値を生む」
ミラが静かに立ち上がり、窓際に立った。夕日が彼女のシルエットを照らす。
「Beautiful is high entropy」ミラが珍しく長めの言葉を発した。
「美しさと情報量の関係?」由紀が興味を持った。
葵が頷いた。「一つの仮説として、美しいものは適度な複雑さ、つまり適度な情報量を持つ。単純すぎても複雑すぎても、美しくない」
「完全な規則性は退屈。完全なランダムも意味不明。その中間が美しい」
「ちょうどこの夕焼けみたいに」由紀が窓を見た。
ミラが小さく頷いた。
葵が続けた。「情報理論は、客観的に測れるものを扱う。でも、それが主観的な美しさや価値と繋がることもある」
「珍しいものは貴重。予測できない瞬間は特別。それを数式で表現できるのが、情報理論の面白さですね」
夕日が沈み始めた。部室は薄暗くなった。
「この夕暮れも、高い情報量を持った時間だった」葵が静かに言った。
ミラがノートに書いた。「Memorable = High information」
由紀は頷いた。今日の夕暮れは、確かに忘れられない。珍しい色、三人での静かな時間。全てが高い情報量を持っていた。
「また明日も、新しい情報を探しましょう」
葵とミラが微笑んだ。日常の中に、情報は溢れている。