「今日も陸くんは遅刻すると思う?」
由紀が葵に聞いた。二人は部室で陸を待っていた。
「90パーセントの確率で遅刻する」葵が即答した。
「でも昨日、『明日は絶対遅刻しない』って言ってましたよ」
「それも含めて90パーセント」
案の定、陸は15分遅れて飛び込んできた。
「ごめん!でも今日は理由があるんだ。ミラが廊下で倒れてて…」
その後ろから、ミラが静かに入ってきた。倒れた様子は全くない。
「陸くん、嘘だったの?」由紀が呆れた。
「いや、マジで!ただ、すぐ立ち上がって…」
ミラが小さく頷いた。どうやら本当らしい。
葵がノートを開いた。「面白い状況だね。陸の遅刻とミラの体調に、相関があるかもしれない」
「相関?」由紀が聞き返した。
「二つの事象が、互いに関係しているかどうか。これを数値化したのが相互情報量だ」
葵は式を書いた。「I(X;Y) = H(X) - H(X|Y)」
「Xを知ることで、Yの不確実性がどれだけ減るか」
陸が混乱した顔をした。「つまり?」
「例えば、陸の遅刻をX、ミラの体調をYとする。もし二つが完全に独立なら、Xを知ってもYについて何も分からない。相互情報量はゼロだ」
「でも今日は、俺が遅刻した理由がミラだった」陸が言った。
「そう。だから少し相関がある。相互情報量は正の値になる」
ミラが静かにホワイトボードに図を描いた。二つの円が重なるベン図。
「重なりの部分が相互情報量」葵が説明した。「XとYが共有する情報だ」
由紀が考えた。「じゃあ、完全に相関してたら?」
「相互情報量は最大になる。XからYが完全に予測できる状態だ」
陸が手を叩いた。「じゃあ俺、もっと予測不能に行動すべきだな!」
「なぜ?」由紀が聞いた。
「だって、予測できたらつまらないでしょ?」
葵が微笑んだ。「哲学的だね。でも情報理論では、予測可能性は効率を上げる」
「どういうこと?」
「例えば、天気を予測するシステムを考える。もし昨日の天気と今日の天気に強い相関があれば、昨日のデータから今日を効率的に予測できる」
「つまり、パターンがあると楽になる」由紀がまとめた。
「正確。でも、陸の言うことも一理ある。完全に予測可能な世界は、新しい情報がゼロだ」
ミラがメモを見せた。「Surprise = Information」
「そう。予測できない出来事こそ、高い情報量を持つ」
陸が得意げになった。「だから俺の遅刻には情報価値がある!」
「それは違う」葵が即座に訂正した。「予測できないのと、無秩序なのは別だ。良い予測不能性は、構造を持ちつつ驚きがある」
由紀が例を考えた。「音楽みたいに?パターンがあるけど、時々意外な展開がある」
「完璧な例だ。完全にランダムな音はノイズにしか聞こえない。でも、構造の中に適度な驚きがあると、美しい音楽になる」
陸が真剣な顔をした。「じゃあ俺、たまには時間通りに来た方がいい?」
「その方が情報量は高い」葵が笑った。
ミラが新しい図を描いた。時系列のグラフ。陸の遅刻記録だ。
「ほぼ全部遅刻じゃん!」陸が叫んだ。
「だから予測可能。相互情報量の観点では、時計を見れば陸の位置が分かる」
由紀が笑った。「つまり、陸くんの行動と時刻に強い相関がある」
「負の相関だけどね」葵が補足した。「開始時刻に近いほど、陸は遠くにいる」
陸が悔しそうにした。「明日こそ、本当に予測不能な行動を…」
「時間通りに来ること?」由紀が期待した。
「いや、30分前に来る!」
葵とミラが同時に笑った。珍しいことだった。
「それは別の意味で予測可能だよ」葵が言った。
部室に笑い声が響いた。予測可能な日常の中に、時々現れる予測不能な瞬間。それが情報であり、価値なのだ。