「ノイズって、全部悪いものですか?」
由紀が突然質問した。
葵が興味深そうに顔を上げた。「面白い疑問だ。どうしてそう思った?」
「さっき、Professor S.が『適度なノイズは有益』と言ってたので」
陸がホワイトボードに落書きしていた。「ノイズは邪魔者でしょ?信号を隠す」
「一般的にはそう」葵が答えた。「でも、情報理論は万能じゃない。状況によって、ノイズが役立つ」
「どんな状況?」
Professor S.が部室に入ってきた。「良いタイミングだ。ノイズの話をしてるのか」
「はい。ノイズが役立つケースについて」
教授が頷いた。「いくつか例がある。まず、ディザリング」
「ディザリング?」由紀がノートを開いた。
「画像処理の技術だ。意図的に微小なノイズを加えて、階調を滑らかに見せる」
葵が補足した。「人間の目は、ランダムなパターンを平均化して知覚する。だから、ノイズが視覚的な精度を向上させる」
「ノイズで精度が上がる?」陸が驚いた。
「逆説的だけど、本当だ」教授が言った。「これを確率共鳴という」
「確率共鳴…」由紀が書き留めた。
「微弱な信号が、ノイズの助けで検出可能になる現象だ」
葵が図を描いた。「信号が閾値を超えられない時、ノイズが後押しする」
「でも、ノイズはランダムでしょ?」陸が疑問を呈した。
「そう。でも、何度も観測すれば、信号成分が蓄積され、ノイズは平均化される」
「統計的な効果」由紀が理解した。
教授が続けた。「機械学習でも、ノイズは重要だ」
「どうしてですか?」
「過学習を防ぐ。訓練データにノイズを加えると、モデルが一般化される」
葵が例を出した。「完璧なデータで学習すると、現実の雑音に弱くなる。だから、意図的にノイズを注入する」
「ワクチンみたいだ」陸が言った。「弱いウイルスで免疫をつける」
「良い比喩」教授が認めた。「ノイズ注入は、システムを頑健にする」
由紀が質問した。「でも、どれくらいのノイズが適切ですか?」
「それが難しい」葵が答えた。「少なすぎると効果なし。多すぎると信号を破壊する」
「最適ノイズ量の存在」
「そう。それを見つけるのが、エンジニアリングの技術」
陸が別の視点を提示した。「人間の会話にも、ノイズって必要?」
教授が微笑んだ。「鋭い。実は、人間のコミュニケーションには冗長性が必要だ」
「冗長性とノイズは違う?」
「微妙に違う。冗長性は計画的な重複。ノイズは非計画的な揺らぎ」
葵が説明した。「でも、どちらも情報伝達を頑健にする」
「例えば?」由紀が尋ねた。
「『えっと』『あの』などのフィラー。情報量はゼロだけど、会話のリズムを作る」
「確かに」陸が納得した。「完璧に整理された話し方は、機械的で冷たい」
「ノイズが人間らしさを作る」
教授が補足した。「創造性にも、ノイズは不可欠だ」
「創造性?」
「完全に決定論的なシステムは、新しいものを生まない。ランダム性が、探索を可能にする」
由紀が目を輝かせた。「進化も、突然変異というノイズで進む」
「まさに」教授が頷いた。「ノイズは、システムを探索させ、新しい可能性を開く」
葵がまとめた。「ノイズは敵でも味方でもない。使い方次第」
「適度なノイズは、システムを豊かにする」
陸が笑った。「俺の無駄話も、ノイズとして有益?」
「たぶんね」葵が笑い返した。「でも、適度にね」
由紀がノートに書いた。「ノイズを味方にする方法:
- 適量を見極める
- 統計的に利用する
- 頑健性を高める
- 創造性を促す」
教授が去り際に言った。「完璧な無音は、実は貧しい。適度なノイズが、世界を豊かにする」
部室に、心地よい雑談が戻った。それもまた、有益なノイズかもしれない。