「すべては決まっている」
蓮の言葉に、晴が反発した。
「そんなことない。私は自分で選んでる」
「その『選択』も、過去の因果の結果だ」
乃愛が穏やかに介入した。「決定論と自由意志。古典的な対立だね」
「でも、実際に選んでるじゃん」晴が主張する。「今朝、何を着るか、自分で決めた」
蓮が問い返す。「その決定に影響した要因は?天気、予定、気分、過去の経験...」
「それでも、最終的に決めたのは私」
「因果の連鎖の終点が『君』というだけだ」
晴が考え込んだ。「じゃあ、自由意志は幻想?」
乃愛が別の視点を示した。「自由と決定は、対立しないかもしれない」
「どういうこと?」
「自由意志を『因果から独立した選択』と定義すれば、確かに存在しない。でも、『自分の意志に従う選択』と定義すれば、存在する」
蓮が頷いた。「相容性主義だ。自由と決定論は両立する」
「具体的には?」晴が聞く。
「君が『自分らしく』選んだなら、それは自由だ。たとえその『自分らしさ』が、遺伝や環境で形成されたとしても」
晴が疑問を持った。「でも、それって本当の自由?」
乃愛が笑った。「『本当の自由』って何だろうね」
「外部の影響を受けない選択?」
「それは不可能」蓮が断言した。「人間は社会的存在だ。言語、文化、知識...すべて外部から来る」
「じゃあ、どこまでが私で、どこからが外部?」
「境界は曖昧だ」乃愛が言った。「むしろ、内と外の相互作用が『私』を作る」
晴が抵抗した。「でも、責任はどうなるの?すべて決まってるなら、悪いことをしても仕方ないってこと?」
蓮が真剣な顔をした。「重要な問いだ。決定論は、責任を否定しない」
「どうして?」
「責任は、社会システムの一部だ。人を罰するのは、過去を変えるためじゃなく、未来を変えるため」
乃愛が補足した。「抑止力としての責任。因果の連鎖の中で、行動を調整する仕組み」
晴が納得しかけた。「じゃあ、自由意志がなくても、責任は成り立つ?」
「法的にはね」蓮が言った。「ただし、道徳的には議論がある」
「道徳的?」
乃愛が静かに言った。「本当に選べないなら、非難は不当かもしれない。でも、その判断自体も因果の一部」
晴が混乱した。「頭がぐるぐるする」
蓮が整理した。「問題は『自由意志』の定義だ。絶対的自由か、相対的自由か」
「絶対的自由って?」
「因果から完全に独立した選択。量子レベルでもランダムであること」
「そんなの不可能じゃ?」
「だから、多くの哲学者は相対的自由に注目する」
乃愛が例を挙げた。「強制と自発の違い。銃を突きつけられた選択と、自分で考えた選択」
「それは違う」晴が頷いた。
「だから、自由には程度がある」蓮が言った。「完全か無か、じゃない」
晴が考え込んだ。「じゃあ、自由意志はどこまで許される?」
乃愛が微笑んだ。「質問が変わったね。『存在するか』から『どこまで許されるか』へ」
「どう違うの?」
「前者は形而上学、後者は倫理学」
蓮が続けた。「許容範囲は、社会が決める。他者の自由を侵害しない限り、という原則」
「ミルの危害原理?」
「そう。自由の限界は、他者の存在」
晴が窓の外を見た。人々が歩いている。それぞれの選択で。
「みんな、自由だと思って生きてる」
「その感覚が大事」乃愛が言った。「たとえ決定論が真でも、主観的には自由を感じる」
蓮が付け加えた。「その感覚が、責任感や自己効力感を生む」
「じゃあ、真実は関係ない?」
「実用的には」乃愛が微笑んだ。「でも、哲学的には問い続ける価値がある」
晴が深呼吸した。「自由って、複雑だ」
「だから面白い」蓮が言った。
三人は沈黙した。それぞれの思考が、自由に、あるいは必然的に、流れていく。