「天気予報、全然当たらなかった」
晴が傘を振りながら不満を言った。晴れ予報だったのに、土砂降りだ。
「天気は予測が難しい」レンが答えた。「カオス理論の典型例だ」
「カオス理論?」
「初期条件のわずかな違いが、結果を大きく変える現象。バタフライ効果と呼ばれる」
サイモンが加わった。「ブラジルの蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を起こす」
「比喩ですよね?」晴が確認した。
「比喩だが、本質を突いている」レンが説明した。「大気は非線形系。微小な変化が増幅される」
晴が考えた。「じゃあ、未来は予測できない?」
「完璧には予測できない。でも、ある程度は可能だ」
「ある程度?」
サイモンが補足した。「明日の天気は予測できる。でも、一か月後は難しい」
「なぜ?」
「時間が経つほど、誤差が蓄積する」レンが答えた。
晴が不思議そうに聞いた。「でも、物理法則は正確ですよね?ニュートンの法則とか」
「法則は正確だ。でも、適用には限界がある」
「限界?」
「全ての初期条件を完璧に測定することは不可能。測定自体に誤差がある」
サイモンが付け加えた。「そして、複雑なシステムでは、小さな誤差が致命的になる」
晴が納得した。「だから天気は予測しにくい」
「そう。でも、惑星の軌道は正確に予測できる」
「なぜ?」
「惑星系は比較的単純。変数が少なく、誤差が増幅されにくい」レンが説明した。
晴が興奮した。「じゃあ、人間の行動は?予測できる?」
サイモンが笑った。「哲学の核心に触れたね」
「どういうこと?」
「人間の行動が完全に予測できるなら、自由意志は存在しない」
晴が驚いた。「予測と自由意志が関係する?」
「深く関係する」レンが真剣になった。「もし未来が決定されているなら、私たちの選択は幻想だ」
「決定論?」
サイモンが説明した。「過去の状態が未来を完全に決める、という考え。ラプラスの悪魔という思考実験がある」
「悪魔?」
「全ての粒子の位置と速度を知る仮想的な知性。それがあれば、未来を完全に予測できる」
晴が不安になった。「じゃあ、私たちは操り人形?」
「いや」レンが言った。「量子力学が決定論を否定した」
「量子力学?」
「ミクロな世界では、確率が本質的な役割を果たす。完全な予測は原理的に不可能だ」
サイモンが補足した。「でも、それで自由意志が証明されたわけじゃない」
「え?」晴が混乱した。
「ランダムも、自由意志とは違う。偶然に支配されるだけだ」
レンが考え込んだ。「確かに。決定論でも、ランダムでもない『自由』とは何か」
晴が尋ねた。「答えはあるの?」
「ない」サイモンが認めた。「何千年も議論されている」
「じゃあ、無意味?」
「いや。問い自体が重要だ」
レンが言った。「実用的には、予測可能性と自由意志は両立する」
「両立?」
「短期的な行動はある程度予測できる。でも、長期的には不確実性が増す」
サイモンが例を挙げた。「君が明日学校に来ることは予測できる。でも、十年後の職業は?」
「分からない」晴が認めた。
「その不確実性の中に、自由の余地がある」
晴が少し安心した。「じゃあ、完全に決まってるわけじゃない」
「決まっている部分と、決まっていない部分がある」レンが整理した。
「どう区別するの?」
「難しい。でも、選択の感覚は実在する」
サイモンが言った。「たとえ幻想でも、その幻想が私たちの現実だ」
晴が考えた。「予測できないことは、怖い?それとも希望?」
「両方」レンが答えた。「不確実性は脅威であり、可能性でもある」
サイモンが付け加えた。「未来が完全に予測できたら、退屈だろう」
「退屈?」
「驚きがない。新しさがない。生きる意味が薄れる」
晴が笑った。「じゃあ、天気予報が外れるのも悪くない」
「予測の不完全さが、人生を豊かにする」レンが珍しく詩的に言った。
サイモンが空を見上げた。「雨もやがて止む。それは予測できる」
「でも、いつ止むかは?」
「それは、待ってみないと分からない」
三人は雨宿りを続けた。未来は霧に包まれている。でも、その霧の中を歩くことが、生きることだった。