「ミラが笑った!」
由紀が驚いて叫んだ。部室で、ミラが小さく微笑んでいたのだ。
「珍しいね」葵が静かに言った。
ミラは恥ずかしそうに視線を逸らす。
「なんで、こんなに驚いたんだろう」由紀がつぶやいた。
葵が興味深そうに答えた。「自己情報量。珍しい事象ほど、情報量が大きい」
「だから驚くんですか?」
「そう。脳は、事象の確率を推定してる。低確率の事象が起きると、-log₂(p)という量で『驚き』が発生する」
ミラがノートに書いた。「Surprise ∝ -log p」
「ミラが笑う確率を、私は0.01くらいだと思ってた」由紀が言った。
「なら、自己情報量は約6.6ビット」葵が計算した。
「一方、陸が遅刻する確率は0.9だから、情報量は約0.15ビット」
「陸くんが遅刻しても驚かない理由ですね」
「正確に言えば、驚きが小さい」
由紀が考え込んだ。「じゃあ、感情も情報量で測れるんですか?」
「ある程度はね。驚き、興奮、失望。全て期待とのずれから生まれる」
ミラが新しいメモを見せた。「Emotion = information gain」
「感情は情報獲得量…」葵が読み上げた。「面白い見方だ」
「どういう意味ですか?」
「新しい情報を得たとき、世界モデルが更新される。その更新幅が大きいほど、感情的な反応も大きい」
由紀が実例を考えた。「友達から突然の告白を受けたら、すごく驚きますよね」
「確率が低い事象だから。でも、薄々気づいてたなら、驚きは小さい」
「事前確率が高いからですね」
「そう。サプライズパーティーが成功するのは、対象者の事前確率が低いから」
ミラが静かに言った。「I surprised you」
「え?わざと?」由紀が驚いた。
「Experiment」ミラが微笑んだ。また笑った。
「実験って、私たちの反応を見てたの?」
葵が感心した。「ミラらしい。情報理論の実演だ」
「でも、2回目はあまり驚かなかったでしょ?」
由紀が気づいた。「本当だ。慣れちゃった」
「それが適応。事前確率が更新された」
ミラがノートに詳しく書いた。
「1回目: p=0.01 → I=6.6 bits 2回目: p=0.3 → I=1.7 bits」
「確率が上がったから、驚きが減った」葵が説明した。
「でも」由紀が言った。「同じ出来事でも、人によって驚きの大きさは違いますよね?」
「鋭い。それは、各人の主観的確率が違うから」
「私がミラをよく知らなかったら、もっと驚いてた?」
「逆かもしれない。全く期待してない事象は、異常すぎて受け入れられないこともある」
ミラが補足した。「Optimal surprise exists」
「最適な驚き?」由紀が聞く。
「小さすぎると退屈、大きすぎると混乱。中程度の驚きが、最も心を動かす」
葵が頷いた。「映画や小説も、適度な予測不可能性を持つ。それが面白さの源泉だ」
「情報理論で芸術を語れるんですね」
「驚きの設計は、クリエイティブの基本だ」
ミラが立ち上がり、窓の外を見た。
「Hearts move by surprise」
「心は驚きで動く…」由紀がつぶやいた。
「だから、新しい経験が大切」葵が続けた。「情報量の高い人生を送ること」
由紀がノートに書いた。「今日、約6.6ビットの驚きを得た」
「良い記録だ」葵が笑った。
ミラが小さく微笑む。3回目。由紀はもう驚かなかった。でも、嬉しかった。感情は情報だけじゃない。でも、情報から始まる。